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人生は誰もが通過するビッグイベントに向けての準備(3)

 

ここからの続き:

人生は誰もが通過するビッグイベントに向けての準備(1)
世の中古今東西大抵の人は死ぬということを忌避しますよね。そんなネガティブな・・・そんな暗い・・・と。 あれ分からんね。全っ然分からん。
人生は誰もが通過するビッグイベントに向けての準備(2)
前回の続き: ごめんやけど「死」。あれはただの通過点やぞ? 通過点に暗いもへったくれもありますかいな。 そして死んだら完全に無になるなんて、そんなムシの良すぎる話どこに転がってるんだよ全く。 ...

 

じゃあその「 今世ですべき有意義なこと 」ってなんやねん?となる時、私の場合はもうこれは間違いなく第一に来るのは・・・ドブ家系(メイン母方)を少しでも清流に近付けること。

 

機能不全家族のドブさらいと6種類の天中殺(1)
他家のドブさらいの邪魔はしちゃいけないし ドブさらいをやってる方は、事情を知らない人の戯言を真に受けてドブさらいを中断しちゃダメです。

 

この辺りは毒母にボロクソに虐待され散らかす人権皆無な子供の時代から薄々分かっていた。そして後年になって算命学で「 やっっっっぱりそこか!!」と再確認し、時間とともにますます深く理解できてきているという感じなのです。

 

それは私個人の一例ですが、皆家族・家系の一員である以上何かあるんだよね、やるべきことが。これを仕上げんことには話にならん、何にも先に進まんというような何かが。

それが社会で成功する、沢山稼ぐ、有名になる、地位を得るといったような目に見える形のあることであれば分かりやすい。そしてそれが役割だろうが何だろうが、今の時代わりと皆そっちに向かって努力するようなところがある。自分の役割がそっち方向であれば時代の流れとも矛盾がないから頑張りやすいし、ある意味楽なのです。

 

でもそういう日向の活躍を支える・・というと綺麗な表現ですが下準備、後片付け、尻拭いをする陰の役割だとどうなるでしょう。更に目には見え辛い、メンタルの面で能力を発揮し、誰かを支えたりケアしたり、成長面で寄与したりするような役割だと?

 

 

陰陽の法則から、家庭や家系内で(もちろん会社や国、世界全体でも)陰陽バランスが取れていないとそのチームの存続すら怪しくなる。つまり日陰の役割の人も同等に意味があり、価値があり、絶対に必要な存在。でも今の時代、社会で目に見える活躍をしてこそ何ぼ、みたいな価値観がありますよね。日本だけではない、全世界的に。

そこに惑わされ流されてしまうと、今、日陰で存在価値を発揮すべき人が自らの役割を見失いガタガタに崩れていく。自分だけでなく周りも巻き込みながら。そういった陰の役割というのは日が当たらず目に見え辛い分評価されにくい。軽視されがち。価値のないor少ないものと見做されやすい。「 頑張れば社会も応援してくれる 」という追い風がないので、上記のような陰陽バランスについて知らないとなかなか継続して頑張れない。

 

そして社会が華々しい活躍ばかりを重宝して、その陰の存在や労働を軽視し続け、思いっきりバランスを崩しているのが今ある社会なんだろうなとよく思います。例えばですが、8050問題で露わになっているニートさんたち(でいいのかな?)。大の健康な大人が何十年も家に引きこもるようになる、あの現象が本当に本人1人の怠惰や弱さのせいだと思っているのか?もっと言うと人間一人の努力であんな風に苦しい人生が出来上がると本気で思っているのか?というわけです。しかもそういう人が大量に出現しているのが今ですよね。

冒険家の祖父がいてそれを支える祖母がいた、そしてどうしようもないDV夫から命からがら逃れ、勤勉とチャレンジ精神で努力し続け子供を守り続けたあの母がいたからこそ今のイーロン・マスクがいるように、私たちの誰もが家系の総決算という面を持つ。苦しいニートの立場の人も、あの形でそれまでの家系のバランスを取らされてる部分が大いにあるのです。

 

 

全ては陰陽のバランス。自分が所属するチームがそのバランスを取る中で、自分の役割は何なのか。その役割がたとえ日陰の地味で人目につかない部分であったとしても、それは日向の役割と表裏一体になって全体を支えている、大変重要で価値のあるものなのだと知っておいてもらいたいなと思うのです。

今までの大きな流れが現象化し明るみに出て来た、その表面でしかないニートさんだけを叩いてどうにかなるものではない。鏡に写った自分の髪型を直したい時鏡に触れても仕方がない、本体である自分側に手を入れて行かなければいけないのと全く同じです。

 

とここまでは、チームの一員としての役割の話でした。

どんな人にもその人生で請け負う役割がある。「 社会貢献!」などとよく算命学でも出てきますが、たとえ地味でも自分の役割を果たすだけでも実は十分すぎるほどの社会貢献なのです。だって多くの人はそれすらままならないから。自らの役割を放ったらかして分かりやすく活躍することばかり追いかけたとえ結果を出したとしても、必ずその歪みは内に蓄積されいつか外に溢れ出すから。その尻拭いを誰かにさせることになるからです。長い目で見た時にプラス面より禍根となって残る面の方が大きいことも多々ある。

 

だから今世では自分の役割を見極めて、そこに誇りを持って生きるのが大事ということ。

 

でもじゃあ私はずっと陰で生きるだけなの?と思う人もいると思うのです。

そこで出て来るのがこのシリーズ記事の最初に出て来た 死はただの通過点 の話。

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