(注:途中ショッキングな画像があるかも知れません)
やっと行って参りましたマルク・シャガール展。
これですこれ。とても良くまとまった紹介動画はこちら。
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ずっと行きたかったけれど時間も体力もなくなかなか参上できず、ようやく昨日行ってみましたところ、入り口で長蛇の列!なので引き返し本日出直し。開館11時でしたので10分前くらいに到着しますと
昨日よりもっと長蛇の列やん(なんだよー泣)
中規模のこの美術館、だいたいいつ行ってもそんなにいっぱいなんてことはございません。今だと平日だしさあ・・・と甘く見積もっていたのですが、よく考えたら夏休みなのですね。
そして感想:行ってよかった!!
シャガールかぁ、とりあえず開催期間中には行っとこうかな?
くらいの思い入れだったのですが、いやいやいやいや行って良かったですぞ。
当たり前ですが、絵って本当にナマで見ないと分からないものです。ネットや画集、ポスターで見るのと全く違う。
「色彩の魔術師」って確かに本当だわ!と。色のエネルギーが見ていてワクワクするのですよね。
サバト(ユダヤ教の安息日、金曜日没から土曜日没まで)
しかし正直わくわくよりも、複雑な気持ちの方が遥かに大きかったです。
彼は現在のベラルーシ生まれながらもユダヤ系で、生まれた地ロシアでも(当時はまだ独立していなかった)、ヨーロッパでも家族、親族、同胞たちが戦争で、日々の生活で散々辛酸を舐めるのを嫌というほど目の当たりにしている。それが何度もモチーフとして絵の中に出てくるのです。
嘆きの壁 1931
彼が、彼ら当時のユダヤ人たちが
80年後にはあなた方の子孫がパレスチナでナチスと同じことをしていますよ
住人を狭い地域に閉じ込め徹底的に爆撃し、女子ども病人老人無関係に水も食料もない兵糧攻めで、完全な民族浄化をもくろみ実行し、自分たちのものにしようとしているよ
ということを知ったら一体どう思ったでしょう?
いいぞ、我らが建国のためにとことんまでやれ~!
と果たして思っただろうか?
Safedのシナゴーグ(ユダヤ教の会堂・礼拝所)内部 1931
このSafedという場所、当時はパレスチナでした。
それが今現在のパレスチナ・ガザ地区はイスラエルの度重なる爆撃で瓦礫しかない更地。人の住める状態ではない。
インフラも何もなく、人々はお印程度に供給される食糧をまさに命懸けで争わなければならない。
子供たちは骨と皮で餓えて死んでいく。病人も同じく。
気温は今現在の日本と大して変わらない。
でも当然冷房も扇風機もない。だって水すらないのだから。
こんなことを当時迫害の真っただ中に立たされていたユダヤ人犠牲者たちは願っただろうか?
のんきに美術館なんぞに行きながら何綺麗ごとを言っていやがる!?
といわれても仕方がない。けれども私を含め
何日も飲まず食わずで干乾びていかざるを得ない人たちにせめて水を、食料を供給しようよ!
そのためなら募金でも何でもするよ!
という人は世界中に無数にいる。
けれどもいくら救援物資が集まったところで、入国でイスラエルの人たちが妨害する。それを誇らしげに笑いながら、ネットにUPする彼ら。それを善しとする強大な国アメリカ。
私には分からない。
何百年も国を終われ、国をなくし、それでも祖国を再び!という血願を代々語り継ぎ受け継ぎ、先祖代々の悲願が叶いそうな時その地にある人をどんな手段を使っても撲滅したいと思う、それほどの強い血念は理解できない。
その建国の血願を支えるのは、代々受け継がれてきた只ならぬ深い恨みの念。

イスラエル軍はパレスチナ自治区ガザの全域を占領する計画だと、ネタニヤフ首相が語った。
この発言は、既に壊滅的な打撃を受けているガザで軍事作戦がさらに激化することを意味する。国連の世界食糧計画(WFP)によれば、ガザでは50万人が飢餓状態にある。
私は日本に生まれて、祖国を失ったことはない。だからその怨念を晴らすべく多くの無実の人たちをまるで徹底的に掃除するように消し去りたい気持ちは到底分からない。
今虫の息で飢え乾くパレスチナの人たちを助けるために、何をどうすればいいかも皆目見当がつかない。
ベンチに腰掛けるバイオリニスト 1924~1925
恨み辛み、怨念を極限まで膨らませた人間が、それを晴らすべく身近な弱いものに徹底的に当り散らし攻撃し、その対象をとことんまで潰してやろうと燃え上がるのを私はよく知っている。
それが一個人であれば、縁を切るなり距離を置くなりすればいい。
けれどもそれが人の集団であったなら。
それが巨大な力を持った国家という大きな組織であったなら。
今現在起こっているのはそれだ。私がとてもよく知る色。けれども規模が全く異なる。
今ガザで起こっていることは、私たち人類全体の大恥だ。2025年にもなって人類は怨念の連鎖と炸裂を止められない。
ロシア、ロバほか 1911、右は首を切断され銃弾で体に穴の開いた人
算命学ではこの世界で起こることに無駄も無意味もないと考える。
そんなことおめでたいヌルイ世界にしか生きたことがないから言えるんだ
と言いたくなるけれど、それを説く算命学の高尾宗家は長崎で幼少期に被爆されている。言ってみれば人類が経験しうる究極に残酷な経験を通過されている。
とすれば、イスラエルの今の行いも意味のあることなのか。
この世界には平和期があり、動乱期がある。明るい時期があり、暗い時期もある。
日本という国はまもなく一つの時代の曲がり角を迎えます。
ドイツもそれに2年遅れて同じく。
必ずしも戦争が起こるということではないけれど、これから厳しい時代が来る。
シャガールは同じくユダヤ人であった最愛の妻と子供を連れて、開戦直後にアメリカに避難している。
仮に同じような状態に巻き込まれた時、私は家族を守るために一体何ができるのだろうか。適切に動けるのだろうか。
そんなことを延々考えながら、心臓がバクバクしながら、彼の作品とそれに込められた熱情、そしてその時代を生きた人たちのことを思ったのでした。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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