私の子供たちは、私がドイツ語を話すもんだから子供の時からドイツ語ばかり話します。
子供たちが小さい時から私が頑張って子供たちに、何が何でも100%日本語で話し掛けていれば良かったのですが
どうもね・・夫とは100%ドイツ語で会話するわけですよ。
それを聞いている子供たちは、私に当然ドイツ語で話し掛けて来る。
私は相手が日本語話者であれば今も何とか日本語で会話できますが、そうでない場合日本語で話すのが難しい。
ついつい惰性で子供たちにも殆どドイツ語で話してきました。
なので簡単な日本語も危うい子たちなのですが、そういうわけで週5日は毎日1時間私が日本の国語の教科書を使って日本語の授業をしています。
このあたりから:
そうすると!
メリメリとは言わないまでも、着実に語彙が増えて行ってる。
うんとこしょ、どっこいしょも日常生活で言うようになった!( ええのんか )
まだ漢字の勉強まで進んでいないけれど、ひらがなもカタカナも殆ど書けるようになった。
これは私にとっては革新的なことなのです。
だってホントに日本語使ってない子供たちなのでね。
完全に外国人の子供に日本語を教えるようなものですよ。
今のところ問題は、相変わらず私が気付くとドイツ語で話してしまっているところ。
話ながら
これではいかん、日本語で話さなければ・・!
と思うのですが、ドイツ語話す人相手に頑張って日本語で話すのってすごく難しいんですよ・・。
ところで日本語を教えていて思うのは、やっぱり何かをモノにしようと思うとちょっとずつの繰り返しが一番効くな、ということ。
うちでは日本語を日常的に普通に使っているというよりも、習い事を家でやっているという感覚なので
毎日1時間勉強、そして23時間休憩のサイクル。
そうすると何だか何も進んでいないような気がしていても、薄っすらとだけれど少しずつその23時間の休憩時間に沁み込んでいくという感じなのですよね。
これやっている子供たちにはまだあまり分からないと思う。
でもずっと楽器を小さい頃からやってきて、それも高校生頃あたりまで大してまともに練習もしていない
なんちゃって演奏家だったにもかかわらず、インチキなりにも取り敢えずでも続けるとどうなるかを身をもって知っているから分かるのです。
ところで人間とはつい結果を急ぎたくなる生き物です。
語学を勉強した → ハイ、一発で沢山単語も覚えた!
楽器を始めた → ハイ、あんまり練習してないのにあっという間に難しい曲もすらすら弾ける!
みたいに行けばなあと。
あれ、結果を急がなくていいよ。全然いい。
もちろんそこに全力投球してガッと伸ばしたい!!みたいな時期があってももちろんいい。
でも、皆が皆そうでなければいけないわけではなく、ゆっくり進むことに意味がある人もいるわけです。
たとえば生まれてきて若い段階で一気に才能を開花させ、一流のナントカとして人生を通して活躍する人もいますよね。
ああいった人たちの全てとは言いませんが、確実に
今世はそのためだけに生まれて来た
そのための下準備は前世までの何度もの人生で全部やり終えて来たから
今回は最終目的である本番に集中するのみ
という人っているよ、いる。
そんな極端な例でなくとも、若い人や小さい子供でも
この子人生一体何回目?
みたいな達観している人っているじゃないですか。
一般人の持つ年齢感覚に合わない視点や風格を持つ人。
あれも
人生最終章の一つ前の人生、つまり準備の仕上げのための人生
みたいな感じの人生を送っている人かも知れないよね。
あっという間に結果を出していく人は、それだけ以前の人生で下積みも準備もしてきた人。
というかそうなんだよ、そう。
それを証明しろと言われてももちろんできませんし
そんなのただの妄想じゃないか?と言われても
そうですね!
といいともバリに元気に答えるしかないのですが、最近ますますそう確信しています。
そしてほとんどの人はまだまだ色々手探りでチャレンジしてみよう!という段階の人生。
だから最終目的をどんどん実現していく最終段階の人生を歩んでいる人なんかを見ると
すごい!と思うと同時に、何故自分はああいう風に出来ないんだろう?と思ってしまうけれど、しょんぼりする必要はないんだよ。
この私が好きな本にも書いてあります:
鉛や銅や鉄にもそれぞれに果たすべき運命がある
( 金だけ見てても分からない )
それぞれに自分に必要な段階を進んでいて、どれが良い悪いという話じゃないんだな。
以前
この世界は人生のカタログのようだ
と書きましたが、何度も好きなだけこの世に生まれてきて、その中で色々試してみる内に本当にしたいことを見つけて
それに本格的に取り組んで人生いくつも重ねて準備して
そして本番に到達する
みたいな流れもある。
( そうじゃない流れもある、もちろん )
だから華々しく活躍出来なくても必ず今世で自分にしか分からない収穫はありますし
好きなことややりたいことがびしっと分からなくても大丈夫。
そもそも本当にやりたいことを見つけるにも時間はかかるもの。
またあの世的観点でいえば、この世で目立つ功績をあげることと、魂の本当の目的とは何の関係もないので
この世的には地味な人生でもやっと本望を遂げ切った!という人だっているわけです。
今現在の状況も段階も全てOK、全然問題ないのです。
人にはそれぞれの進み方がある。
なんだかこの記事前半と後半繋がりが全然ないように見えますが、大きな結果を出していく人も
それまでのいくつもの人生でやっぱりちょっとずつやっては休み、やっては休み・・を繰り返して
必要なことを積み重ね、集めてきてる。
この世の全ては神の意志・メッセージを代弁したもの(※)。
子供たちが少しずつ言葉を身につけていく過程を見て、まさに魂の道程のヒント・・・というかそのまんまだなと思ったのです。
※ 算命学も根底にその考え方があります。神の意志を言語的に解析しようと作り上げられたのが暦学ですのでね。
Alychamps, 1888 Gogh
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