算命学の本を読んでいるとすっごく面白いのですがすっごく疲れるのですよね。
これはどうも「年とったから~」みたいな話ではないわ。他の本だと結構ずっと読めますのでね。何かこうぱぱぱーっといけないようになっているのでしょうね。
で、休憩がてら子供たちが見ている
One Piece/ワンピース
を横で見ていましたら、サンジ(右、金髪)の作ったチャーハンがすっごい美味しそうで!
速攻で作っちゃったわ、海老入りタコなしで(笑)美味しかったわ~♪
でもあの飢えてた人チャーハンだけで水貰ってなかったけど大丈夫だったのかな?
さて。
人の心の動きやその向かうところ、形態などを推し量る知恵といいますか方法、学びが算命学にはあります。
これを知らなくとも普通に命式を読めばこと足りるのですが、それを理解しているとより深くその人物の心を考慮し命式の読み方も深まるといったものです。
また人は同じところをぐるぐる回っているように見えて、後天運との掛け合わせで螺旋階段を上ったり下りたりするように次元を上げ下げしながら生きています。その上げ下げがどちらに出るの?も上の方法で予測がつきます。
フランス南西部 ラ・ロシュフコー城
と聞きますと
そりゃぁお前さん、人生ガンガン次元上げてった方がいいに決まってらぁねぇ!
と思いますよね。思っちゃいますよ。
しかし
ここで注意しなければならないのは、昇華(上昇)を単純に良しと捉えてはいけないということです。
人によっては昇華しない方が幸福に生きられることもあり、昇華=善 といった狭量な見方をしていると、そこにある深遠な真理を見逃してしまうのであります。
人には持って生まれた次元があり、低きを以て善しとなすもの、高きを以て善しとなすものと千差万別。
~中略~
星だけに捉われることなくその人を見よ!の一言に尽きる秘術となるのであります。(高尾宗家)
ホントそうなのですよね。
別の高尾先生の別の書物にも
命式から人を見抜こうと思ってはならない。
人間、自分のことですら一生かかっても分からないことが殆どなのに、他人を見抜こうなんて烏滸がましい。
そうではなく可能な限り理解して、寄り添うという姿勢が大切だ。
みたいなことが書かれています。
陰陽五行から世界や人を理解しようとする算命学も宗教も、あくまでそれを利用する人の「人生の歩みにおともする杖」的立ち位置なのです。
その杖が持ち主を見抜いてやろうとか、杖の方が偉いのだから言うことを聞けなどと言い始めたら変ですよね。
そしてこの『誰かをそのまま理解しようと努める』というのは、生きている人間だけでなく既に亡くなった人に対してもとても大事な姿勢なのです。この辺も先祖供養と絡めて今ちょうど書いているところ。まだしばらくかかります。
本日もお読みいただきありがとうございました。
だからこそ算命学で出てきた解析結果が「当たってる、外れてる」というのも変な話なのですよね。
杖は歩みに役立つのか否か。
そして役立てるには本人が歩かなければいけない。歩き始めたらこんなに便利なものはない。
Six Swans 1920 Elenore Abbott
コメント