前回の続き:
ごめんやけど「死」。あれはただの通過点やぞ?
通過点に暗いもへったくれもありますかいな。
そして死んだら完全に無になるなんて、そんなムシの良すぎる話どこに転がってるんだよ全く。
例えば大抵の日本人であれば小学校入学式や卒業式を通過しますよね。その入学式や卒業式について「 いや、そんな暗いネガティブなこと考えるなんて・・・縁起でもない 」と忌避してたら変やん。いやいや、普通に考えて準備したらええやんと。
ホンマにごめんやけど、それは長いながーい魂の旅路にある区切りの一つ。世界一周旅行しよ♪と思う時、入国ごとにパスポートコントロールあるでしょう?あれと同じよ。「 いや、パスポートコントロールなんて暗いネガティブなこと考えるなんて・・・縁起でもない 」っていやいやそこは考えようよ、別に避けんでもええやん(笑)。そもそも避ける理由が全然あらへんわ、ということですわ。
本来「 今日の晩御飯は~」くらいの日常感で軽く普段の会話に上って当然なのです。
もう一度言いますが、誰もが通過するビッグイベントですよ。漏れなく皆そこに向かって毎日を過ごしてる。見て見ぬフリする理由が思い当たらないんだわ。何その無意味な不自然の捻出。
( そこに辿り着くまでの経過は痛かったり苦しかったりすることもあるので、まあ暗いこともあり得る。あくまで経過は。でも「経過」と「死」を混同なさいませんように。経過=生 なので死とは真逆です。)
で「 死に支度 」の話に戻るのですが、鑑定のお話の中で60歳前後の大運で月干支天剋地冲になる時期ね、その話の時に相談者様から「 死に支度 」という言葉が出てきたのです。が、よく考えると私は物心ついた時からずっと「 死に支度 」してるわ、と気付きました。だって今世はその先にずーーーーーーっと繋がっていく長旅の一区間でしかないと知ってるからです。もし本当に今期(今世)限りで完全に雲散霧消、何もかも無になるのであれば、ここでやりたい放題やって逃げ切った者勝ちじゃ~立つ鳥跡を濁しまくりの逃げ切り御免~!となるじゃないですか。
分かりやすい具体例:
「 うまい汁吸うのは俺ら、ツケを払うのは次世代な 」
そんなインチキで都合の良い世界だと本当に思っているのか?って話ですよ。
残念ながら(?)いやありがたいことに世界はそうは出来ていない。
そうじゃないと知ってるからこそ今世を如何に有意義に過ごして死ぬ時後悔せず、出来れば満足しながらビッグイベントである通過点を通過できるよう、今世では出来るだけ有意義なことを凝縮してやっていきたい。そしてそれがその先に良い意味で繋がって行くように!!というのが私の感覚。
(多分その意味で前世は本題から逸れてしまってエライ失敗してる)。
じゃあその「 今世ですべき有意義なこと 」ってなんやねん?となる時、私の場合はもうこれは間違いなく第一に来るのが・・・
続く:
Roses in a Vase, 1890 by Frederick Childe Hassam
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