今朝、自分で自分の記事を読み返していましたら面白くて次々と止まらなくなっちゃいましてね。臆面もなく自画自賛しておりますが、まあ本当に面白いと思うことしかここには書いていないので、自分で読んで興味が引かれるのは当然ですね。
『これ!』と思うことを瞬時に掴んで文章化して書いていっているのですが、そういう内容って本当に雲を掴むような話でその時に文という『形』に直しておかないと忘れてしまうものです。その瞬間の旬とでも言いましょうか。
いや、書いても忘れてしまっているな・・。
この 有害派陶酔マクベス や 微笑ましく尊い陶酔マクベス などもすっかり忘れていましたよ(そんな言葉使ってたんだー)。
いや~我ながら面白いからお勧めですわ、この記事。

『おまわりさん、あっちです!』
シェークスピアとマクベスと魔女 by Johann Heinrich Füssli
(また長くなっちゃいました。お付き合い下さる方、ありがとうございます。)
さて。
この寒さと天気のせいかも知れませんし
月運天中殺のせいかもしれませんが、心の奥底にある弱い部分がズンドコ浮かび上がってきてなかなか苦しい時期を過ごしております。
でもこういう時期は普段気付いていない自分の好ましくない思い込み、といいますか正確には「本来の自分とズレている」部分がハッキリ知覚されるので、人生の根幹に目を向けることができるというプラスの面もあります。
途中経過を詳しく書くと長くなってしまうので要点を。
私は 午未天中殺で 昔からの流れを継承して終わらせる役割 の人です。
第一義には家系(血の繋がり)の流れの中で継承しても良いけれど終わらせるべき何かがあるから、それやってね!という役割を負っている。
派生的解釈として、社会の中で何かの流れを継承して終わらせる、まとめる係やってね!とも解釈できる。
とても分かりやすい終わらせ方の一例
具体的に何を終わらせるって言うんだ!?
は自分で考えなくちゃいけない。自分で決めることです。他人に口出しさせてはいけない。
それは血の繋がる人々の中で
- 自らが見聞きしたこと
- 経験したこと
- かつてどんな事情やその場の人のどんな思いがあったのか
- また何を知ることができなかったのか・・
など本人でなければ分からない情報が山のようにあり、その全てがヒントになるから。
その中で私は
犯罪級に真っ黒なレベルの実母による家庭内虐待の毒の連鎖、これを終わらせろってことだな
と気付いたことがあり、そこが今世でのメインテーマだろうと思って生きています。
けれども実際現状といたしましては試行錯誤の結果、40代前半あたりまでの『常に心の内側が巨大台風吹き荒れる大嵐状態』で全く落ち着かない、凪のない状態からは完全に抜けています。
それに比例して、心の中に巣食う怒りの種もどんどん小さくなっていき、これで8割方仕上がっていると思っている。
けれども今のような運気が不安定な時期、心の中の弱さが露呈する時にまだまだ終わらせるべきヘドロのような観念が出てくる。
それは親にかけられた呪い。
親もその親にかけられた呪い。
どんな人も親から深く影響を受けていて、それが全くない人なんていません。
その影響が人生を豊かに幸せに生きるのに役立つ建設的なものであれば、良い洗脳でしょう。
反対にこちらの心身、人生を破壊するような観念であればそれは呪いになります。
何気ない日常生活にも無数に紛れ込むこの呪い。
もう大方片付いただろうと思ってもまっだまだいっぱいあるんだわ。細かい棘のようなものが無数に。
さすが後生大事に代々溜め込んで煮詰まっているだけある。
おそらく人生は、キャベツの葉のように幾重にも層になっている、代々継承されてきて親に着せられた呪いの衣を1枚1枚脱いでいき、最終的に偽りのない自分の姿に戻る旅なのではないかと思うのです。呪いを解く課題を課せられた午未天中殺。(もちろんそうでない午未天中殺さんもいるでしょう。)
子丑天中殺、戌亥天中殺、辰巳天中殺に至っては「受け継ぐのもやめてね」なので、ある意味もっと濃いかもしれないですよね。受け継いでいる場合ではない、とも読める。
主流ではない はみだし運
どんな呪い/洗脳があるでしょうね?
例えば先日お亡くなりになった遠野なぎこさんが、とても強い醜形恐怖症で鏡を見ることができなかったとお話になっていました。母親から醜いと言われ続けた結果、自分の顔を全く好きになれないどころか見るのも恐ろしいと。
何となく分かる気がします。
私は母に顔のことは言われたことがありませんでしたが、体型については日々執拗に、本当にしつこく、特に人前で
この子は太ってみっともないこれ以上になったら私(=母)どうすればいいの~本当に困るわぁ~♪
とあげつらわれ続けてきました。
今現在でも正直自分で本当に太る体質なのかどうか分かりません。ただ洗脳され、そちらに自分を自動運転で沿わせているだけなのか。
そしてなぎこさんと同じように、私も自分の体形がものすごく嫌い。どうせ何を着ても似合わないしなと思っています。
でも果たしてそれは本当なのか
その呪いはもういい加減脱ぎ捨てればいいのではないのか
沢山食べるのが好きでいつも太っていて何を着ても嘲笑われて・・・
は本当にそうなのか。
太る体質で太っているとして、それは本当にそれほどマズいことなのか。存在価値を脅かすほどのものなのか。
ちゃんと周りの基準に合っていなければならないのか、普通でなければならないのか、果たしてそれは私なのか。
もうイライラしちゃってね。髪を自分でザクザク切ったお話はしましたよね。
これはまだ算命学を知らず100%異常命式とも知らず、一生懸命普通人に擬態していた頃。2013年。
まだまだ擬態の習慣が抜けない2022年。
これは化粧やめて眼鏡といういつも通りの自分を晒してみた2024年。
坊主にしたいが一歩手前で一応立ち止まっている現在。
マヨネーズ絞った先端みたいな髪型は特にモデルがいるわけではなく、自分でジャキジャキに短く切ったら(どうも髪が太く硬いようで?)寝て起きると天辺が皆天に向く。それを美容師さんに適当に整えてもらったらこうなりました。
普段何でも絶賛してくれる親友も仰天中(笑)
でもこれが一番自分らしくて無理がなくて今までで一番好きかな。
ってこれは一例ですが
〇〇でなければならない。愛されない。存在価値もない。
は本当なのか。
〇〇に当てはまるものなんて心に散らばる細かい撒菱(まきびし)のように、そりゃあもう無数にある。
撒菱(まきびし)
「実はそうではないのでは?」を一つ一つ実験実証し、丁寧にその呪いを解いていく作業こそが、家系の毒を継承して終わらせるために具体的にやるべきことなのだろうなと。
地味で面倒ですよね、とても。そんなこと放っておいて分かりやすく沢山稼ぐとか、社会で名誉を得るとかに舵を切った方が何かやっている感はモリモリ持てるでしょう。
でも何代も本丸から目を逸らし続けた結果がコレ。
家系の流れはドブとなり、ドブはヘドロとゴミの堆積でどん詰まりで流れなくなり、完全に気の触れた人物が出てきて、その全ての尻拭いに一生を費やさなければならない人(私だよ!)が出てくる。
だから私は同じことを繰り返していてはいけない。
同じことを繰り返してもいいのは、寅卯天中殺、申酉天中殺の皆さん。(但し例外アリ)
多分それが腑に落ちるまでとことんできれば、初めてプラスでもマイナスでもないゼロ状態のニュートラルな立ち位置に戻れる。
全部フラットな状態に戻してな!
を頼まれた、今現在そこに向き合わされている私の現状。
本日もお読みいただきありがとうございました。
いうてもこんな感じの日も多いのだ。
Homage to Goya, Odilon Redon(ルドン)
コメント