私がとても大切だと思っていることを書いた、凝縮記事。お勧め記事。
“無駄”
その人が何を目的に生きていたかなんて、その人にしか分からない。
その人がどんな課題をもって魂の旅をしているのかだって、その人にしか分からない。
その魂の旅路のどのフェーズにいるのかもそう。
“失敗”というシール
現実世界は人の総意で動くものなのでもちろんそういったシールは無視できない。
たかがシールだなんて、そりゃあ綺麗ごとだよというのも分かる。
そこまで言い切っていいんだ
人生には本人にしか分からないことが沢山ある。本人にしか分からないように出来ている。そこを探ることは自らに対峙することであり、またそれが進むと家族や家系に嫌でも対峙せざるを得ません。
魂年齢とその成熟に必要な陰陽の二面
魂年齢が同じくらいだととても居心地がいい。でもホッとするし癒されるけれど、成長という意味ではもう少し刺激が欲しい。
理想的なのは自分より少し成熟度の高い魂の持ち主と縁を持てること。
加藤諦三先生のお話:自分自身でいること、「好き」、そしてその道を選ぶ勇気
加藤諦三先生、私は好きなのですよ。
この方も本物の毒親地獄(主に教育虐待)を生き抜いて来られた心理学者で、親子関係はじめ人の心に関するものすごく多くの書物を出されています。
算命学に期待できないことと礼儀など諫言的記事
私がやっている算命学の鑑定というのはご相談者個人に意識を集中して、その方の環境や背景、人間関係など命式をベースに深く解析したり、お話したり、ひも解いて行ったり、その上で今後どうしようかの人生戦略を一緒に練っていくという作業です。
生まれてくる時の課題、ざっくり2パターン
引っかかる何かがあるならそこにとことんこだわれ。飽きるまで恨め。ありとあらゆる角度からそれを眺め、観察し、検証し、吐き出し、悩み考え尽くせばいい。もういい、お腹一杯!となるまで、
この世に生まれてくる意味、アンバランスとその魅力
この世をこの世たらしめているものはアンバランスだ。
そしてそのアンバランスこそがこの世に生きる意味であり命なのだ。
命式から自分と人生を理解する上で、自分でしなければならないことはある
解に辿り着く大きなヒントが算命学の命式を読むということ。
その後の個別具体的な思索は自分でやらなくちゃいけない。
気持ちの落としどころを見つけ、気持ちを納得させ、気持ちにケリをつけるのはとても大切なこと
私は誰にも虚しい思いを持って人生を終わって欲しくないのです。
誰もが思い残しはできるだけない状態であの世に旅立って欲しい。
自分との闘い?本当にそれでいいのか。
自分とはそんな風に組み伏せなければならない敵なのか。
今後も何かを成し遂げたい時にはずっと抑え込んで、飼い慣らしてコントロールして行くべき対象なのか?
私の『生きる』ということに対する姿勢、鑑定に対する思い、そして鑑定師との相性
業務連絡:わたくしは本日成田空港近くに移動し週末は日本からドイツに飛びますので、これ以上は私の口座にお金を振り込まないでくださいね!チェックできないからです。『お金は振り込んだけど鑑定は要らないよ、取っときな!』という投げ銭も丁重にお断り申...
運命の方程式、そろそろ正確バージョンにしよか
過去を振り返り『全て運命だった』と論じる人がいれば、自分自身が何たるかを知らなかった人間なのです。運命とは最初から決定されているものではないのです。(by 高尾宗家)
無責任なカスと天将星の上から目線と人間の可能性について
だいたい相手をよく見もせずその可能性を否定してくる奴というのは、まー何やっても上手く行ってない残念なやつと相場が決まっているのです。
大きなことにチャレンジして何かを成し遂げた人、チャレンジし続けて生きている人は絶対に人の可能性を否定しない。
『一緒に居て楽しい、話が合う』と算命学でいう相性
相性というと殆どの人は
一緒に居て楽しい、自然体でいられる、話が合う
みたいなところを想像なさるのではないでしょうか。
でも算命学で見るのはそこじゃない。違うな。