昨日は天気予報によると激しい暴風雨がくるということで、我がNRW州は学校が全面休校だったのです。
が、ふたを開けてみれば快晴のそよ風・・・
天気予報でもこう:
≒ 11m/秒
全然大丈夫やん!
大丈夫の基準はこちらを採用させて頂いております:
「 どうも飛べそうにない。」
なのに丸1日元気な男子3人が家に居て暇を持て余してもう大変だったのですが、今日ですよ今日。今日は普通に学校があって普通に迎えに行ったのですが、暴風。何故今日が休みじゃないんだ。
「 今日は飛べそう。」
今も外はびゅーびゅー言っております。
さて。
最近鑑定依頼者さまが「 死に支度 」という言葉を使ってらっしゃいましてね、すごくいい言葉だな!と思ったのです。
しかしまずその前にチラっと書きたいのは、世の中古今東西大抵の人は「死」について考えたり話したりすることを忌避しますよね。まあそんなネガティブな、そんな暗い!と。
あれ分からんね。全っ然分からん。
だって死ぬって、我々地球上の人間どころか生きとし生けるもの、まっっっったく完っっ璧に例外なく誰もが通過するビッグイベントですよ?そこからわざわざ目を背けるって
お 気 は た し か ??
そのビッグイベントが暗いって、それ一体誰が言うてたん?何がどう暗いの?それについて考えたり話したりすることの何がネガティブなの??で、そんなもん無条件に「 はいそうですかー」って信じてるの?それはまた何で??と純粋に不思議で堪らない。物心ついた時から今まで。
ちょっと前にもある女性文筆家さんが
死んだら無になりますから。完全に虚無の世界ですよ。
と仰っているのを見かけました。私よりも遥かにご年配のその方、この年齢になってもまだそんなこと仰るのか!とびっくりしましてね。
( と書くと上から目線のようですが全くそのつもりはないのでまあ是非読み進めて下さいまし。)
そっか、でもよく考えたらそうだよな。この世での先輩ということは この世での 経験は私よりたくさん積まれてはいるけれど、それが あの世の理解に直結するわけではない ものね。だってこの世の経験だから。それとこれとは完全に2つの異なるの世界の話だもんなあ。
これに関しては知ってるか知らないか、信じるか信じないか、みたいなところに落ち着くだけの話で、この世の経験とは関係ないわね。
などと思っていました。そして世の99.9%の人々はこの文筆家さん側の思考だと思うのですが、私はその辺気にせず私の感覚をどんどん書いて行こうと思います。
ごめんやけど、あれはただの通過点やぞ?通過点に暗いもへったくれもありますかいな。
続く:
Lilacs, 1872 Henri Fantin-Latour
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