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誰に何を証明して何を得たいのか(2)『House of GUCCI』続き

 

まだ考えてるGucci家の流れ。またこのあたりの続きです。

『House of GUCCI』を見て流れの存続を考える
有形物質世界に生まれてきた人間はどうしてもそちら引きずられ、無形の世界を忘れがち。疎かにしがち。 有形物質世界が短期間に極端に肥大する時、無形の世界はそのスピードについて行けているだろうか?
誰に何を証明して何を得たいのか(1)『House of GUCCI』続き
ビジネスを大きくする。 社会的地位を得る。 富も大きくなる。 ファミリーが名誉を得る。 それらは全て子々孫々が困窮することなく、豊かに幸せに生きることを願ってこその、それが第一義だったのではないでしょうか。

 

どうして彼らはあそこまで身内を貶め傷つけ命までをも奪い、もっと富を!もっと名誉を!もっと地位を!もっともっと成功を!となったのか。

そこまでシャカリキになって一体何を証明したかったのか。

 

自分が才能とセンスあることを認めさせることで

多くの富を所有することで

先代のビジネスをもっと華やかに成功させることで

私は愛されるに値する人間です

を周りに証明したかった。

 

人間が欲する幸せというのは究極にはしかない。必ずそこに辿り着く。

でも周りの全てが見えなくなるほどその『証明』に憑りつかれていたのは

自分はこのままでは愛されるに値しない人間だ

と信じ込んでいたから。

そう思わざるを得ない何かがあったから。

そしてそこでとても傷ついた経験があるから。

何が何でもあの痛みの再来は回避しなければならない。

そのためには・・・

 

ちょっと前にこんな記事を書いています。

この世という虚構の世界で信じられる壮大なバグは痛みを伴う
一瞬でもその辛い自己無価値観を軽減すべく、他を見下す。蹴落とす方に走ってしまう。 それは楽しく喜ばしい自己成長というものとは似て非なるものだ。 それは痛みを麻痺させる薬物のようなもので、どんどん横暴は加速する。

 

まさにこのバグ。

バグの継承が様々な形で表れたものが家系の因縁。

きっと彼らは無償で愛してくれるはずの(実際愛していたかどうかはここでは重要ではない)親に、そのままでは愛されないのだと痛感する経験があった。

 

Albin Egger-Lienz Madonna, 1922

 

これはグッチ家のメンバーだけではない。

どんな人も必要以上に欲が出る時、不自然なほど頑張ってしまう時。

そこには愛情に飢えた心がある。

対価を支払えば愛を得られるはずだと。

 

では心の傷は、地位名誉財産という有形物質世界の何某かを積み上げることで癒せるか?

答えは否。

それとこれとは全然別世界で別次元の話だから。

 

2つの世界を混ぜてどうにかしようというのは、自分の中で何が起こっているのかという肝心要のを見ることから目を逸らすことにしかならない。

実際に地位名誉財産を得られれば、対処療法的に一瞬それらしい快楽は得られる。

だから

それをもっと大きく回転させ続けさえすれば!常に鈍痛をもたらす、そして日ごとに痛みも苦しみも耐えがたくなる心の奥深くにある傷がどうにかなるんじゃない!?

と思う。

思ってしまう。

 

でもそれは超現実的なようで、本当は現実逃避の麻薬のようなもの

依存性も高いときたよ。

 

 

でもそこじゃない。

カルシウムが全然足りていないのに鉄分の錠剤をじゃんじゃん摂取しても穴埋めにならないのと同じ。

物理の点数を上げたいのに英語の文法ばかり勉強して『そのうち物理もどうにかなるかも』と思うのと同じ。

それらは2つの異なる別々の世界なのだから。

 

 

あーやだやだ。

イヤですよね~自分の心の奥深くをまともにじっと見つめるのは(笑

なんと決まりの悪いことか。

なんと恐ろしいことか。

 

でもそこにしか答えはない。

やっぱりそこなのですよ。

 

この世は壮大なバグに覆われたロールプレイングゲームの世界。

如何にバグに気付いて自分を癒し、愛し、同時に物質世界も充実させるのか。

それが人生最大のテーマ。

やり方は人によって違う、各自お好きにどうぞと。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

Francisco de Goya – The Sleep of Reason Produces Monsters

 

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