Twitterで見かけたこれ。
これは
日本人にこうした「自分たちはこんな苦労をしたから俺にはわかる、お前には無理だ」みたいな現実を伝えること=優しい論が割と目立つのは、実は既に様々な研究や調査で「日本人らしさ」として認識されかけているらしい
という文脈で紹介されていたのですが
おるわー
こういうやつおるわー!!
日本人に特に多いのかどうかは私には分かりません。ドイツ人見てても大概ネガティブやしまあどこもあまり変わらんのちゃう?と思っていますが。
私は(強面なので?)それでもあまりこういうことは言われたことがないのです、実の親から以外は。でももちろんそれ的なことを言われた経験はありますよね、半世紀も生きていれば。
そういう時の私の心根は
お前ごときがこの私(気分は俺様)の才能・能力・行く末を見極められると思い上がるなど、身の程知らずにもほどがあるわ。自らの無能を省(かえり)みて恥を知れや恥を!
大して努力もせずちょろっと興味を持ってやってみましたぁ、でもボクチン上手く行かなかったなぁ残念、だからお前も上手く行かないよ~♪ なんてカスみたいな自分と他人様を同じ土俵に載せて比較するなどクソ厚かましいんじゃ。んなことすら気付かんほど思いあがって耄碌しきってるからいつまでたってもボンクラなんだろうが。周りの人間をしれっと負け犬の仲間に引きずり込もうとしてんじゃねえわ。
一旦頭丸めて切腹してから出直してこいや、このクソボケが!
ですが何か?
だいたい相手をよく見もせずその可能性を否定してくる奴というのは、まー何やっても上手く行ってない残念なやつと相場が決まっているのです。
大きなことにチャレンジして何かを成し遂げた人、チャレンジし続けて生きている人は絶対に人の可能性を否定しない。だってどこまでも自分の可能性を信じて、無理そうに思えてもそこに突っ込んで行き、道を切り開いて行き続ける生き方をしているから。人の可能性を否定するということは、自らの可能性を否定するということに直結すると知ってるんだよ。
ところで天将星というのは生まれながらに “ ナチュラルな上から目線 ” を持っているという性質があったりします。上の私の心根の部分、この強気は天将星から来ているとも言えますね。
しかし天将星を持っているだけでここまで思えるか?
否。
やはりここはたびたび当ブログに登場する私の日本の師匠。
彼女はナチュラルに人のいいところばかりを見る人でした。いいところを見つけ、それを引き出し、伸ばす天才。私はそれにめちゃくちゃ助けられてきた。
そこでは私は人間性も才能も否定されることは1度もなく、とにかく自分のいいところを指摘してもらえ、そこからの可能性を信じることができた。
何よりも彼女自身が自分の夢と可能性に生きチャレンジし続けている人で、しかも楽しく生きている人だったのです(現在進行形)。
そこにはいつも無限の可能性があった。
私が教えてもらった最も貴重なことは、今思えば音楽の云々もさることながら、人の人生の可能性だったなと思う。
そしてそれは彼女だから、私だったからではなく、彼女はどの生徒に対してもその素晴らしさを見抜いて引き出し、それによって本人に自分の可能性を信じさせ、その喜びを知らしめる天才だった。
それを見て体験してきたからこそ、私は人間の可能性を矮小化し、鶏程度の脳みそと薄っぺらい経験で他人の将来をまるで無責任に “ 無理でしょ ” と冷笑するような残念な人を心の底から軽蔑するのです。というよりも百害あって一利なしなので即座に離れます。
そんなものにまで情けをかける器量は私は持ち合わせない。そんな暇もエネルギーもない。
そしてその人間の無限の可能性を知っているからこそ、私はこのオレンジで囲った右側の部分
この部分の潜在的可能性をどこまでも信じて引き出したい。
だからこそそれをできるだけ正確に知るために、算命学で宿命(緑で囲った部分)を正確に把握したい。
そういった算命学的な裏付けを持ってその人に人生の可能性を伝え、一緒に信じていきたいのです。
ゴミみたいな言葉を投げかけられてもそれはあなたには何の関係もない。そんなカスに拘泥する必要なんてさらさらない。
そして天将星を持っていなくても私くらい強気で全然OKよ。だって自分が自分の可能性を信じないなんてそんな勿体ないことはないのですから。
本日もお読みいただきありがとうございました。
この中世の建造物だって、作った人たちはまさか何百年もあとの人たちがここを訪れ感嘆するなんて思いもしなかったでしょう。人には想像もつかないような未来に続く道があるということ。それを自分で否定しちゃいけないよ。
サン=マロ(フランス、ブルターニュ地方)の市庁舎。
サン=マロはこういうところ。
コメント
度々ブログに登場される佳代さんの師匠。まったくの他人の私も佳代さんの師匠に感謝の念を抱いています。なぜって今こうして佳代さんのブログを読むことができるのも、その師匠の存在があったからこそ、佳代さんがあの時期を生き抜けられたと感じられるので。師匠、ありがとうございます。
わ~!そう言っていただけると私もとっても嬉しいです。
今度師匠に会うことがあったらお伝えしておきますね(笑)