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誰に何を証明して何を得たいのか(1)『House of GUCCI』続き

 

昨日の続きになります。

『House of GUCCI』を見て流れの存続を考える
有形物質世界に生まれてきた人間はどうしてもそちら引きずられ、無形の世界を忘れがち。疎かにしがち。 有形物質世界が短期間に極端に肥大する時、無形の世界はそのスピードについて行けているだろうか?

 

 

観ながらずっと思っていたのは

みんな一体何を証明しようと頑張っているのか

ということ。

 

創業者のグッチオ・グッチ氏はゼロからの出発なので

とにかく物理的に軌道に乗せてどんどん大きくなったらいいなあ

と思うのは当然のこと。

ただビジネス面でとにかく成功してさえいれば、その後自分の子孫が家系の諍いの中で地獄の苦しみを味わい、殺人事件にまで発展しても全然OKよ♪とは思わなかったでしょう。

 

グッチには他の高級ブランドとは異なり、材料費さえ払えば職人が妻や娘、恋人に鞄を作ってもよいという日があった(現在は消滅している)。これは同社の製品が職人の家族にとってなかなか手の届きにくいものであったことから、グッチオが自発的に考え付いた職人の家族へのサービスである。wiki

 

という逸話からも。

 

ビジネスを大きくする。

社会的地位を得る。

富も大きくなる。

ファミリーが名誉を得る。

それらは全て子々孫々が困窮することなく、豊かに幸せに生きることを願ってこその、それが第一義だったのではないでしょうか。

 

2代目はそんな父が軌道に乗せたビジネスを大切に、更に発展させようと思うのは自然なこと。

けれどもそこでも父の想いを受け継いでより立派になりさえすれば、家系のメンバーが取り返しのつかないほど傷ついたり崩壊しようがどうでもいいわ、が本音だったのか?

 

ことさらに我が子

 

をダメ人間扱いしたり

家系の流れから離れたがる息子に

 

大きな身勝手な期待を寄せたり。

 

そんな子供世代の心の奥深くという重要なところを無視してしまうほど、目先の発展という手段に捉われてしまっている。

それは虚と実2つの世界の

 

片方を無視して進むということ。

『実』さえ思い通りになれば『虚』の部分は放っておいてもどうにかなるんでしょ?というたいそうご都合主義的思考で。

 

でもこの世はそんなに甘くはない。

 

誰しもどうせ生きるなら幸せに生きたいと思う。

幸せを追求する。

その幸せにアルドとルドルフォは

 

 

更なるビジネスの発展が必要、そのためには優秀な跡継ぎが絶対に必要だと思い込み

パオロは

 

才能があると親に、周りに認められることが必要だと思い込み

マウリツィオは

 

跡継ぎとして優秀なビジネスマンとして絶対に成功しなければならないと思い込み

パトリツィアは

 

もっともっと今より大きな財を!になっていく。

 

本来の目的は心からの幸せであり充実なのに、それに繋がるんでしょ!?という勘違いから出てきた手段しか考えられなくなる。その手段こそが目的であるかのように。

 

その結果各自の壮大な勘違いと、人生を賭けた全力尽くしの空回りが互いを豪快に傷つけ合い、一人は命を落とし、他は社会的に落ちぶれてしまう。

 

殺人事件にまで発展せずとも、こういうことは本当によくあること。

今そこに固執し、それしか考えられなくて、そのためには人を足蹴にしても傷つけても殺めても成し遂げなければ!という極端な思考に走る時、それを達成して本当に得たいものは何なのか、自分に今一度問うことはとても重要だ。

 

本末転倒はあっという間に起こる。

 

自分の心が本当に欲しているものは何なのか。

そこに辿り着くのに、今固執するそれは本当に必要なのか。

 

これが本当の自らとの対峙であり、本当の意味での『足るを知る』なのだと思う。

これは誰かに助けてもらって解を与えて貰える類のものではない。どこまでも自分の中に深く潜り込み、自分の中に解を見つけ出す、もしくは自ら決定するというひたすら孤独な作業になる。

ここにしか成長は発生しないと言っても過言ではない。

 

自分が本当に欲するものは、極端な地位名誉財産などではあり得ない。それは表の薄皮一枚に過ぎない。

そこに固執し始めると、そして一旦現実がそちらの方向に大きく回り始めると、よほど人間のできた人物が中心にいない限り遅かれ早かれ何らかの形で崩壊に繋がっていく。

 

全部書けなかったので続く。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

Godfather Death

 

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