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算命学と相手に対する敬意

 

うちの建物から見える淀川。前回のと別のところから撮ってみました。

向こうに見えるのは北摂山系だと思います。常に山が見えるっていいなあ。

 

よく考えたら淀川まで散歩できるわ。今日は雨じゃなさそうなので行ってみようかな。

最近雨ばかりですが、これってもしかして梅雨!?ですよねー

すっかり梅雨の存在を忘れていました。もうすぐ6月だもの、そりゃそうだよねえ。

 


 

 

さて。

私は思うのですが、算命学をベースに誰かに対峙する時、特に誰かの人生を見据える時、ヘラヘラしていてはいけないと思う。算命学で読める部分というのはその人が持って生まれた『変えられない部分』。宿命。

 

それを算命学を前に出してまがりなりにもどなたかを見る時、たとえそれが一瞬のチラ見であっても、話の流れのほんの一角であったとしても軽々しくあってはならないよねと思うのです。

 

 

それは例えて言うなら持って生まれた肌の色や髪の色、性別、最初に身につけた母国語などのようなもので、本人には変えられないものであり且つ侮辱されてはならないもの

軽く扱われるようなことがあれば誰であれ憤りを感じるものであり、その奥には傷つきやすい柔らかい何かがある。

なので常に尊重をもって取り扱われるべきもの。

それができないのであれば触れるべきではないもの。

 

 

この辺の感度というのは持って生まれたものなのか、はたまた成長過程で他人に対する敬意についてどれほど学んできたかが物を言うのか?

私は持って生まれたものが大きいのではと思っています。

 

それでも高尾宗家の書物を読めば、少なくとも徳分(五徳)については出てきますし、そこに意識を必ず向けてというのは学びが進めばもっと繰り返されます。

それだけ大切だということ。

 

算命学を通じて誰かに対峙するということは、その人の存在の核に触れるということ。その人の最も大切で、本来不可侵かつ他人は接触できない命の本当の色を垣間見せていただくということ。そこに真摯さがなければどれだけ何を知って何を語ろうが、それはおままごとにしかならないのです。

 

それを忘れずに常にどなたにも敬意をもって人生戦略を練っていこうと、更に襟を正した次第です。(←何かあったようだ・笑)

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

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