知性と教養
共感力がなくとも他を思い、優しさを持つことはできます。そこで力になってくるのが知性と教養。他の感情を我がことのように感じることができなくとも、それを外側から知識として学び理解しようとすることはできる。自分はこういう場合なんとも思わないけれど、こう感じる人もいるのだ。こう考える人もいるのだ。それを推察して相手のために優しさを出す。それが 本当の意味での知性であり教養、その存在意義 なのではないかな。
人が何故勉学に励んで知性と教養を身につけるべきなのかというと、それを武器に他を蹴落として自分が優遇されるポジションで生きて行くためではないと思う。自分個人以外の視点もあるのだと知り、広くものごとを・世界を捉え理解できた時、他者に対する理解と敬意が生まれる。それを各自が身につけることで、万人がより生きやすい社会を形成していけるよねと言うことだと思うのです。云わば社会の潤滑油。
もの凄い学歴があっても優しさゼロの人ももちろんいる。知性と教養が必ずしもその人の優しさを育むわけではないのは皆様ご存知の通り。それでもやはり、そこで優しさを培う人も多いはずなのです。
The Boston Rocker Jonathan Eastman Johnson, an American painter
余裕
他に優しくあるために絶対に欠かせないのがこれ、余裕。
人間はいくら共感力が高く知性と教養を身につけていても、自分に余裕がなければ誰かに気を配ったり助けたりできないものです。それどころか自分のことでいっぱいいっぱいで、自分が必要最低限すら満たされていないのでイライラしてしまう。優しさどころか、足りていない分を無意識にも他から奪おうとしてしまう。
他に敬意を払い、礼儀を持って接し、更にその上親切心も・・・というのが出来るためには自分が満たされていることが必須条件。
最低でも十分睡眠を取れている、十分栄養を摂れている、身をそれなりに清潔に保てて自分にそれなりに満足であるということ。そのためには自分が金銭的にもギリギリではないこと、生きる上で理不尽に身を脅かされるようなことがないことなどはもの凄く重要になってきます。
(まだ続きます)
Selvportrett Theodor Severin Kittelsen, a Norwegian artist
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