右腕を骨折した息子の続報:
その日は手術後私と一緒に病院に一泊しましたが、お陰様でその後は退院しすっかり元気になって家で騒ぎまくっております。ご心配やお気遣いなどどうもありがとうございました。
さて自分以外の誰かに優しくあるために必要なこと。それは以下の三点だろうと常々思っていることについて書こうかなと思います。
( 久々に大変長くなってしまったので3ページに分けています。お暇な時にどうぞ。)
1、共感力
こういってしまうと元も子もないかも知れないけれど、共感力に関してはもう 持って生まれたか否か が全てかと思う。生まれつきピーナッツにアレルギーがあるのかないのかという体質みたいなもので、ある人はあるしない人はない。
私には3人子供がいて全員同じように育てていますが、長男は共感力ほぼゼロ系、ほぼ無頓着。
一番感受性も共感力も強いのは末っ子。彼は何かの時に私と同じところでものすごく反応するので、色々気を付けてあげないといけないなとしょっちゅう思っています。
こんな風に同じ親から生まれて同じ環境で同じように育っている子供たちですら、共感力の差がものすごく出ます。況や他人をや。
ここで言いたいのは共感力があるから良い・悪いという話ではありません。どちらにも長所短所があるでしょう。ただ『 共感力がほぼ皆無な人が存在する、それも結構な数 』という事実をようやく認識したのは割と最近なのです。私は小さい頃から異常に強い系ですが、自分がここまで敏感に痛みを伴って感じていることを感じない人がいるなんて信じられなかった。そんなことが果たして可能なのか?敢えて何も感じないフリをしているだけなのだろうと。でも現実はそうではないようです。
それについては命式から何となく『 この人は共感力が強いかな(=目に見えない部分で他人との壁が薄いかな)』というのは分かります。でも100%確実ではない。例えば私の夫は普通命式ながらも共感力はどう見ても強い系命式ですが、実際は呆れるほどゼロです、ゼロ( ホンマに腹立たしい・笑)
共感力の有無や程度の差は
- もともと持って生まれた『 無形の世界で他との壁が薄い 』という性質
- 常に身近な大人の顔色を窺ってその人の感情を先回りしてフォローしなければ即死、みたいな過酷かつ不自然な環境で育った
この2要因で決まるのかなという気がします。
1だけの人はまあ共感力が低い場合もあるでしょう。我が夫のように。
2だけの人は持って生まれた性質がなくとも、後天的に共感力を身につけざるを得ないのでそうなる。
両方ある人は自分に負担が掛かるほど色々感じ取ってしまう、共感力最大系。
そして『 共感力が高い=優しい 』と直結するわけではもちろんありませんが、共感力が高いということは誰かの辛い・苦しい・痛みを伴う経験を目の当たりにすると、まるで自分がその人であるかのようにそれを感じてしまうということ。なので少なくとも『 わざと誰かを傷つけよう 』とは思わないものです。だって
その人を虐める → その人が傷つく → それを感じ取って自分も同じように傷つく
となって間髪入れずに返り血を浴びるからです。いやもっとダイレクトに、相手を斬る=自分を斬る、みたいな感じですね。(次のページへ続く)
月岡芳年
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