ヤン・リシエスキ氏のコンサートであっち側の世界に繋がって掴んだこと、分かったことが沢山あって記事に纏めたかったのですが
あまりに大量、細々、バラバラで、纏められず本日まで伸ばし伸ばしに。
でもどうせ “ 気 ” の移り変わりと天剋地冲の最後の足掻きの影響で思考がまとまらないので
自分のための忘備録的な意味でもバラバラなまま書き綴ってみます。
物質主義的理性的常識的な皆様には、またもや大分訳の分からない話になると思います。
さて。
( 抜粋 )コンサートが始まって早い段階で
演奏中のピアニストの奥に ( としか表現しようがない ) 私が確かに見て触れたものは
ブラックホールが全てを吸い込み消し去るものであるならば
私が見た 「 それ 」 はその正反対で
全てがそこから生まれて来るような球状の何か でした。
薄い灰色なんだけど、周りはぼんやり白く発光しているような球状の空間。
そして私は遥か大昔から 「 それ 」 をよく知っていたことを思い出し。
実は 「 それ 」 をずっと変わらず心の底から大切に思い、とても愛していて
逆に遥か遠くの未来でも、私はずっと変わらずそれを大切に思い愛しているのを思い出したのです。
と書きましたが、これ
遥か大昔というのは2つ前の前世とかそんな最近の話ではなく
こんなのがいた
白亜紀、ジュラ紀よりももっと前
三葉虫なんかがいたくらい昔の話。
実物写真は実にエグいので化石写真で
これには私も驚きました。
コンサートホールで演奏を聴きながらそれがパッと分かって
ええ?そんなものすごい昔から!?
と。
それにしてもチバニアン笑うww
どうして演奏者の向こうに 「 それ 」 が見えたり
三葉虫時代だと分かったり
目に見えないあっち側の世界もこっち側の世界も、過去も現在も未来も
全て 今現在 という一点に重なって存在していると分かったりするかというと
演奏者が演奏を通じて、無意識に全てと一体になり、それを体現するから。
素晴らしい演奏と言われるものにはザックリ分けると
私的分類ですが
とても上手に弾くレベル ( 学長+ウィーンフィルのコンサート )
演奏者が音で世界を紡ぎ出すレベル
その上が
自分の僅かな呼吸が、大切な音の余韻、その揺らぎすら邪魔しないように細心の注意を払いながら
細胞の一つ一つ、そのどれ一つ取っても嘘がないほど
自分の紡ぎ出す音と、自分自身が完全に一体になる
それと同時に
あっち側の世界もこっちの世界も丸ごと全部自分に同化して、何もかもが一体になってしまうレベル
があります。
ヤン・リシエスキ氏のコンサートは、特にアンコールのバッハが完全にそれでした。
もう2020年のハイライトはいきなりこれに決定!
くらい素晴らしかった。
そして気付いたのですが、あれって 祈り と同じだわ。
完全に一致。
極上レベルの演奏と祈りは見え方が違うだけで、実は中身は全く同じなんだな。
瞑想とも似ているけれど、能動性が加わる意味で祈り。
究極の演奏=祈り。
こういう演奏にはめったに遭遇できません。
超一流の有名どころでも、人間なので調子の良し悪しがあり
上の演奏に出会えるのは奇跡レベル。
で、こういう演奏に触れると
あっち側の世界と繋がるパイプが繋がりっぱなし、ポータル開きっぱなし状態になるのですね。
こういう経験は今回初めてでした。
演奏者があまりに強烈に、あっち側の世界ともこの世とも丸ごと一体になっていたので
聴いている私もそこに同化されたのでしょう
( そうじゃない人の方が多いとは思うけど )。
この繋がりっぱなしの状態、ずっと続くのかな?
と思っていたら、数日後の学長+ウィーンフィルのコンサートで9割がた閉じました・・・w
コレ:
でも数日間繋がっていた間にぱらぱらキャッチしたことを、また続きで書きますね。
Portrait of Romanov Repin これを描いたレーピンも全てと一体になれる人
色なしの鉛筆だけでしゃしゃっと描いたスケッチでこれ。ほんとレーピン最高で大好き。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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