直った!
iPhone 昨日の今日ですがもう直りました。やったー!
今朝一番に修理屋さんに持って行ったのですが
修理屋の兄さん:ソフトが壊れてるだけなら修理できる。29ユーロ。マザーボードが逝かれてたら新しいの買うべし。
私:それってなんで壊れるの?水に濡らしても落としてもいないのに?
兄さん:それはウンタラ~とかカンタラ~とかストレージがいっぱいになった~とか・・
私:それや!それやわ。最近しょっちゅう『もういっぱいなんでどうにかして下さい』って警告出てたわ!
ってことで見て貰ったらマザーボードは無傷。携帯にあったデータは吹っ飛ぶけれど初期化でまた使えるよってことであっという間に直りました。
今 iCloud から復旧しているのですが、ほぼ完全に以前の状態に戻ってるのだけどこれまたなんで?でもストレージは128GBも空いてる。一体何が消えたのだ?謎は深まるばかり。
いやいやでもその方がもちろんいいのです。
めでたしめでたし。
イメージ図
それにしても
このバケツは水が溢れるくらいまで入れたら壊れます
ってそんなバケツある?そんなん最初から言っておいてくださいよ~。全然知らなかったよ(泣)
そこの修理屋さん、お兄さん1人でやってるのですが、Googleの評価数1030件で星4.8ってすごくない!?なのでそこに行ったのですが大正解。こんなにあっという間に直してもらえるなんて。しかも高くない。ありがたや~(ナムナム)
さて。
運命を占うことを生業とする人は、依頼者が何であれ理解できる範囲で伝えるのが役割であります。
そのためには占者自身高い想念と知力を有していても、その瞬間相手と同次元に位置しなければなりません。
ここに算命学の教えの一つである『占者は神に非ず、人に非ず』の心を要求されるのです。
助言のあと相手がそれを実行するかしないかは既に神の領分であります。
占者がそれ以上入り込むことは、神への冒涜であります。
占者は神に非ず なのです。(原典)
そこまで言い切っていいんだ!?
私は
鑑定を受けて自分のことが分かってから、その内容を取り入れて日々の現実的・個別具体的な決断・行動に至るまでの間のことは本人が決めること。そこの領域にまでこちらが介入して細かく指示するようなことはあってはならない。それは鑑定師の管轄外であり越権行為であり、完全な権利の侵害である。
といったようなことは繰り返し述べています。そりゃあ人権侵害だろう、くらいに考えています。
人生には本人にしか分からないことが沢山ある。本人にしか分からないように出来ている。そこを探ることは自らに対峙することであり、またそれが進むと家族や家系に嫌でも対峙せざるを得ません。
そんな場面では当事者でなければ分からない必須情報が多々あり、それらを総合して初めて具体的に何をどうするかが分かる。本当の意味で腹を括れる。
『分かる』と『決める』は紙一重。自分で決めることがその人の人生の答えになる。
そして『決める』という人生で最も重要で美味しい部分はそこからの『行為』と『結果責任』とセットで一つ。だからこそ微に入り細を穿ってまでああだこうだ外野が口を出すのは違うのです。
(注:そうやって『決める』という美味しいところだけ掠め取っていく人は、口を出すだけで結果に責任なんて負ってはくれないでしょう?そういう人はたちの悪い泥棒なのです。気を付けて。)
が、それは既に神の領分で神への冒涜であるという表現。
そこまで言い切っていいんだーっ!?
ってなりますよね?
私は昔から
自分を大切にしないということは神への最大の冒涜である
と考えています。おそらく間違ってはいない。
でもよく考えると、人生の決定権を誰かにあっさり譲り渡したり、誰かのそれを掠め取って『代わりに私が決めてあげるわ!』などとすることは、即ち自分を(相手を)大切にしないことに繋がり、そりゃあ神への冒涜だよねと心の底から納得しました。
本日もお読みいただきありがとうございました。
最近ね『ああ、もっと考えていることを自信をもって言い切ってもいいんだな』と思う場面によく出会います。きっとそうなのでしょうね。
Seated woman in green, 1901 Picasso
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