なぜ今書くのか という記事の続きです。
私は自分の子供たちに、できるだけプラスの言葉を掛けるようにしています。
よく映画のシーンなどで
死ぬ間際に 「 愛している 」 と言って亡くなった、普段はそっけなかったので感動した
みたいなのありますが、ああいうの見るたびに
普段からガンガン言えばええやん!
と思うんですよね。
多くの人は無意識に口から出る言葉って、ポジティブなものよりもネガティブなものが割合が大きいんじゃないでしょうか。
そうでなくともネガティブな言葉は抵抗なく口に出せても、相手に面と向かってポジティブな言葉を伝えるって抵抗があったりしがち。
でも私は 死ぬ間際 だけ 子供たちや大切な人に
あなたたちがとても大事で、大好きで、とても可愛く思っていて、いつもすごいな~!と感心してたんだよ
というのは 残念過ぎる と思うのです。
大体普段言っていないのにそんなことを突然言うなんて、それこそ気恥ずかしいし勇気がいることになりそう。
やだわ、そんなの。
ってことで、子供たちが生まれてからもう声かけるたびに
大事な〇〇 (=名前 ) 可愛い〇〇~
大好きだよ、世界一大事な宝物だよ
〇〇はこういうところがすごいからね
〇〇のこういうところ大好き
みたいなことを日常茶飯事、常にくっつけて言っています。
だって本当にそう思ってるんだったら、伝えればいいじゃないね?
それに
親に常日頃からどういう言葉を掛けられてきたかは
子供たちの内側に小さながらも積み重なっていって
行く行くはそれがその子の人生の 大きなエネルギー源 になったり
逆にその子の持っている やる気やエネルギーを激減させる病巣 にもなる
のです。
それもあって子供に掛ける言葉にはとても注意しているのですが、もう一つの理由はやはり自分の経験から。
私に物心がつくかつかないかあたりから幼稚園卒園くらいまでの期間
実母にガンガンに吹き込まれた、特に3つ覚えていることに
1 : アタクシ可哀そう物語
2 : あんたが将来困っても絶っっっ対に助けてやらないからな!の言い聞かせ
3 : 専業主婦全力侮蔑祭
というのがあります。
その内容まで行かなかったけど、長過ぎるので 明日に続きます。
View from the Window of Vincent’s Studio in Winter, 1883 by Vincent van Gogh
全然ゴッホっぽくないゴッホの絵
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