こういう着物を着て日本でお花見をしたいです!
千代田之大奥 御花見、 楊洲周延 1895
さて。
現実有形世界で大きく急激に成長した場合、即ち地位名誉財産など分かりやすく運が上昇した!という場合。そしてそれが続けば続くほど、家族の中に犠牲を負うものが出てきます。
それは夫婦間であったり、親子、兄弟姉妹間であったり色々ですが、運はバランスを取ろうとするからです。
人間もこの自然の世界の理に則って存在する生き物であり、自然界の極端な例外にはなり得ない。
冬なのに1週間くらいで急に真夏になってそのまま真夏から秋へ突入!なんてないのと同じ。そんなことになれば突っ走る真夏自身はよくとも、周りの自然界はリズムが総崩れになって津波のように大きな影響を受けることになる。
運が開いていくのも最適なスピードというのがあるということです。
周りに犠牲を出さず自然なテンポでゆっくり上昇していくのが本来好ましい。
(なので本来何代もかけて一族が無理なく有形無形両方の世界でバランスよくレベルアップしていくのが理想的なのです。)
また急激に運が上昇する時、その犠牲を負っている人が視界に入ってくると何となく排斥したくなったりするものですが、そういった負の部分を背負ってくれる存在によって自分自身が分かりやすく華々しく闘うことができるのです。
ジョゼフィーヌ、子供出来なかったよね
運命という名の戦場において自分は勇敢に戦っていても、そのために食事を作る人も、武器を作る人も、そしてその陰で泣いている人もいるのです。
もし勇ましく脚光を浴びながら進む本人が陰にいる人たちのことを忘れるようであれば、どんなに陽転し結果が出ようとも人として恥ずかしい限りであります。(原典)
まさにまさに。
調子がいい時って大抵誰でも
自分が頑張ったからだもん!
一人でできてすごいんだもん!
になりがちですよね。
こういうのもその一種、しっぺ返しを食らうの巻
仮に周りの人に感謝するにしても
○○さんのおかげで
と仕事仲間、友人知人など、外の世界で格好をつけたい人に向けていい顔をする『ありがとう』はまあある。
でも運気という目に見えないところの動きは、多分に身近な人たちがそれとは知らずに影の黒子として陰の部分を背負ってくれているもの。
それを常に意識できるくらい内側、無形の世界にもちゃんと目を向けていけるほどできた人間を目指したいものですね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
妙にミャクミャクっぽいカンディンスキーのスター
Wassily Kandinsky- ‘Stars’ 1938
ミャクミャク
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