これは2021年オーストリアのザルツブルク音楽祭でのコンサート。
これ同じコンサートを私はDortmund/ドルトムントで聴いているのですが
やっっっっぱり今年のプログラムの方が断トツにいい。というかめちゃくちゃカッコよくて好きだな。
こちら:
51:05 からの Sergei Rachmaninov, Preludes, Op. 32 No. 8 in A Minor, Vivo が最高で!このたった1分半の短い曲を何度も繰り返し聴いています。
あと 1:07:32 からの Sergei Rachmaninov, Études-tableaux, Op. 39、No. 4 in B Minor: Allegro assai も無茶苦茶いい。というかこのプログラムはホント大当たりだと思う。どれだけカッコいいんだよ・・・
前半ももちろん素晴らしいのだけど、後半のラフマニノフ尽くしが好きすぎてもう音から離れてもずーっと私の中で流れ続けています。テンション上がるなあ~!
人間の運の上げ下げというのは往々にして身近な人(特に家族、血縁、同僚など)の運を無意識に貰ったりあげたりしながら生じてきます。これは今までにも結構書いてきていますよね。人の運というのは1人1人完全に独立しているわけではなく夫婦で1つの運命共同体、家族で1つの運命共同体、家系で、会社で、所属するコミュニティで・・というように、その中でバランスを取りながらそれぞれの共同体が存在するからです。
そして算命学では、もしあなたが運を掴んでいるのであれば周りのどの人を踏み台にしているのかを見ることもできます。誰を犠牲にしているかですね。
これは皆多かれ少なかれ持ちつ持たれつのところがあるのでいいのです。
しかしあからさまに身近な人を都合よく利用するだけして自分は美味しいとこ取り!というのは論外ですね。社会で目立つ活躍をしている人にこのタイプは大変多いです。自分で気付いていないだけで。
子供が犠牲になって親が伸びているようではまだまだ本物ではない
他人を犠牲に伸びている人は、力任せで伸びている人生 (by 高尾宗家)
一方 真の成功者は他の誰も犠牲にせず自分の力で伸びて行く人 です。
あの人がそうなんじゃないかなと思いあたる人はいますか?
実はこういう真の成功者はなーーーっかなか存在しません。この成功というのは “沢山稼いでるの?名誉ある地位にあるの?良いところに住んでるの?” みたいなこの世における世俗的成功とは何の関係もないのですよね。この世界ですごいすごい言われてる人も
周りの運を喰い散らかしてそこまで来たんやろがい
という人が多いです。殆どです。
例)ピカソ
むしろ
世の中で一番の成功者は人を育て教育した人
お金を残すというのは一番小さい成功
一人の女性が子育てに成功すればそれこそが一番の成功者である (by 高尾宗家)
と。
これはもちろん女性なら子育てしなくちゃいけないという意味ではなく、社会的には大きく取り沙汰されないような、特段評価されないような極平凡なことでもあの世視点で見たら最高得点!!みたいなことは沢山あるんやぞ?って話です。
その辺はこの徳の話にも共通します。
あの世の価値観とこの世の価値観は本当に違う。
どちらに片寄っても良くない。ここもバランス。
あの世的に意味のある生き方をしながらも、この世的にも充実した生き方をする。
自分個人を満たしながらも、社会の一部としても満足する生き方を実現する。
内側(家庭・家系)を大事にしながらも外の世界も無碍にしない、などと同じ。
でも物事には順序というものがあって、誰も犠牲にしない生き方を実現するためには、まずは我武者羅に力任せにこの世で前進し伸びる生き方をやってみる必要がある。それもとことんまで。じゃないと『あれ?どうもこっち方向だけじゃダメっぽいな?』に本当の意味で気付けないから。
小学校を卒業しようと思ったら小学校1年生の学習内容は網羅しておかないと話にならないというのと同じように。そこをすっ飛ばして
そっか~誰も犠牲にせず生きるというのが大正解なのか~♪
と結果だけに飛びついて飛び級しようと思っても、途中経過がスコーンと抜けてたらいつまでたっても “できてるフリ・分かったフリ” で終わるだけ。自分でせっせと卒業証書を偽造しているのと同じ。中身は何も変わっていないからそこから本当の意味では進めない。
機能不全家族出身なのに舐め尽くした辛酸(親の猛毒)を無視して、よくありがちな『親に感謝でーす、全て許しまぁーす♪』の演技で臭いものに蓋をしてキレイなフリをしても、何も現状は変わらないどころか悪化しかしないのと同じ。先祖代々溜め込んできたヘドロが固形物になるほど凝縮し、流れなんてないほど悪臭を撒き散らす状態になっているところに生まれて来たのなら、そしてそこをどうにかしようとするのなら、肝心の堆積した猛毒ヘドロに向き合い、ひたすら掻き出し、とことん掃除してスッキリしないことには家系の誰の気持ちも成仏しない。ヘドロはなくならない。先に進むどころか自分も生き延びられなくなるのと同じ。
この力任せの人生、若い頃は目いっぱい頑張ってやり尽くして自分なりの頂上に達してから力を抜く
つまり物欲云々の世界から『心の満足の人生』に移行する
それは財・名誉・未来云々に関わらず達観し運を天に任せる生き方
これが『解脱』
そして『解脱』というのは 覚悟 の問題なのであって、守護神・忌神云々などは関係ない
これが次元の高い人であり真の人生の極意 (by 高尾宗家)
と続くわけです。
出たよ、また出た覚悟の話。やはり最終的には覚悟の有無に繋がって来る。
あなたはどうなのですか?が問われる。
なので持って生まれた宿命や守護神・忌神、西方納音で因縁解脱なども それらがどうだからどうなる ではなく、覚悟が決まっていればそのような運を上手く使えますよということに他ならない。
全ては自分次第。
人間は自然界の一部でありその流れに逆らわずに生きるといい、けれどもその流れの中でも自力本願でいくんやぞ?というのが算命学の骨子であり、私が本当に好きなところ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
この記事、七夕辺りにUPしようと思っていたので本日はこの絵。すっかり過ぎちゃったけど。
歌川広重『名所江戸百景 市中繁栄七夕祭』1857年
コメント
毒親から逃げたのに、出産を機に毒親を頼る。毒親から逃れるために結婚する。こういう家庭はうまくいっていない確率が高いと思います。親が毒親である場合、自尊心を削られるだけでなく自立させないようにかけられた呪いのせいでいろんなものが抜け落ちています。それに気づき、自立と自分の幸せに邁進することをすっ飛ばして世間体にあわせて結婚や出産をするとかえって問題を複雑にしてしまいますね。
そう、その辺の難しさも隅々まで手に取るように分かるんですよね。
もう四面楚歌どころの騒ぎじゃないってところまで追いつめられる感じ。
ホントに毒親はどれだけの罪を重ねれば気が済むんだろう‥と思いますね。