本日(土曜)は夫が子供3人を連れてベルギーに遊びに行ってくれたので
わたくし
原典三昧やでぃ♪
いや~子供が家にいないと家事があっという間に全部終わりますね。そうだったそうだった、私の家事のスピードってこうだった、と思い出すのがこういう時。何故家に人がうじゃうじゃいると家事が進まないのだろうか。そして家事が終わって家がすっきりしてようやく本に没頭できるというわけです。
何たる贅沢、何たる幸せ♪
最近の私の中のブームは以前にWupperthalのコンサートでも聴いた、このキーシン氏が弾くエロイカ変奏曲 by ベートーヴェン。
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生命力が愉快に弾けまくって跳ねていていい!
これを大音響でかけて踊りながら料理しています。そりゃあ躍るでしょ、この演奏よ?
いつも心に太陽を
と思いながらもこうも太陽をながーーーーーーーーーーい間拝んでいないと、心身ともに何とかバランスを取る『明かり』を捻出しなくちゃならないわけですよ。そこでこれを聴くとまるで耳からの超強力な点滴のように、ゆっくりと音が光になってお腹に入っていく。ありがたいなあ。
私はやっぱりテーマと変奏が好きだ。
最初に曲を通じて流れるテーマメロディが提示され、その後は手を変え品を変え同じメロディが様々な形で繰り返される。この曲はフーガ形式が入るのもいいよなあ。
さて。
私は常々、自分ではない別の何者かとして生きてしまう人生ほど失敗の人生はないのではないかと思っている。
でも一方で
自分をよく知り
自分の本当に好きなこともよく知っていて
自分の本質を不自然に捻じ曲げず
核心に迫る部分では自分に嘘をつかず
自分らしく納得いく生き方をする
そしてそれを貫き通す
というのは結構難しい。いや、かなり。
もうこの世に生まれてくるのは数百回目、ベテランですねん
という人はともかく、人生数回目程度でそこに辿り着くのは至難の業だ。
生きるということは人が思う以上に大変なのだろうと思う。それは弱肉強食の世界だから~みたいなよく言われる視点の話ではなく(まぁそりゃそれもそうなのだが)、やはりここでもバランスなのだ。
自分に最適なバランス解を見つける。
そのバランス解は更に時間とともに移動する。その移動していく支点をどう見つけ、どう追い、どうバランスを取り続けていくのか。
以前鴨川に出現したらしい石のオブジェ
本当は皆自分の解もその追い方も知っている。でも生きることに自信が持てない成長期、そして若い頃に『これが解ですよ』を外の世界に見出すことばかり叩き込まれる。そして自信がないから外に引き摺られる。そしてどんどん自分から乖離していく。どんどん苦しくなる。
気持ちを追うということ。気持ちを大事に、それを見つめるということ。
それは何も『情に流され感情的に生きろ』と言う話ではない。
でも自分の内側に必ず『あなたのバランスを取る支点はこの辺ですよ』の声は存在する。そしてそれは必ず『好き』『気分が良い』に繋がっているもの。
そこに繋がるのに周りの承諾を得なくていい(※)。周りに認められなくていいし賞賛されなくていい。
※ もちろん人を害さないという常識の範囲内で。
自分の気持ちをよく観察して、聞き耳を立て構ってやって、大事にする。そこがスタート。それが背骨。
算命学で自身の性質や流れる方向を解析して解をざっくり導くことはできる。でもそれは本来外側からの、むしろ答え合わせ的な性質が濃い。そこで大まかなことが分かってもやはり現実面での微調整は自分の気持ち・心と相談して決めていくしかない。
キーシンを聴きながらそんなことを考えていた。
だから今年もやはり私は『気持ちを大事にしろ~!』を訴え続けるのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
便器芸一発屋のイメージのマーセル・デュシャンも、誰がどう言おうとこれ!と思ったから意志を貫いて評価されたのだ。
注:便器一発屋イメージは私が勝手に言ってるだけですすみません
本当はこんなとんでもなくイケてる色使いができちゃう。
Portrait of the artist’s father, 1910 Marcel Duchamp
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