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自律と自立、家庭内の空気について平和な夏休みから思うこと

 

ねぇちょっと!

来年ケルンで私の好きなピアニストが、3日に分けてベートーベンのピアノコンチェルト1~5番全部演奏なさるわ!

 

以前に行ったこのコンサート

素晴らしい最高の夜だった話:ヤン・リシエツキ氏(ピアノ)&ヨーロッパ室内管弦楽団(COE)のコンサート
間違いなく私は今、この世で得られる最高の幸せを経験してる とつくづく確信した話。

 

この時も実は3日に渡ってベートーベンのコンチェルト全部を演奏するというイベントでした(オケはCOE)。でも私が行ったWuppertal/ヴッパタールという街以外はちょっと遠いところでの開催だったので全部は行けなかったのです。

しかしっ!来年は近所のケルン!行ける、行けるぞおぉぉ!!

というわけで3日連続分チケットを取りました。楽しみ楽しみ、嗚呼楽しみ♪

 

って色々見ていたらこれから来年前半にかけて行きたいコンサートが沢山見つかって、立て続けにチケットを買ってしまいました。楽しみが増えるのはいいことだー!

 


 

 

さて。

しばらく間があいてしまいました、大切な読者の皆様ごきげんよう。

約一週間も記事が書けずにおりました。何だか毎日やることが詰めつめで

もっともっとできる!もっと頑張らなくちゃ!と猛烈に生き急いでみたり

それでバテて動けなくなって

いや、今を精一杯楽しめばそれでいいのだと思ってみたり

やっぱり記事を書くなら何か算命学らしい役に立つことを書かなければ!と思ったかと思えば

いやいや、ここは我が庭なのだから私が好きなことを書けばいいのだ、と思ったり。(だいたいここに着地)

 

まあ総じていうと

楽しい。

毎日幸せ。

ああ幸せ。

今夏休みで子供の宿題が~とか習い事が~とか保護者会が~とかにせっつかれないのが本当にありがたい。各自思い思いに自由に過ごす夏休みが、平和で幸せで楽しいのです。

夏休みとはこんなに穏和に無駄な波風なく、充実した毎日から成り得るものなのかと。この年になって改めて夏休みをやり直している感じです。

 

家庭によって夏休みのカラーは全く異なるものでしょう。

休みにはゆっくり寝て、毎日楽しく過ごして、時には田舎の祖父母の家に遊びに行ってのんびり西瓜を食べたり遊んだり・・・みたいないわゆる楽しい夏休み、というのは私は経験したことがありません。

 

AIで作ってみたら結構ゴージャスな家が出てきた、机には西瓜でなくカボチャらしき何かが乗っている模様

 

別に毎年海外旅行に行かなくてもいい。休みごとに国内旅行に行かなくてもいい。せめて心静かに平和に日々を過ごせればそれでいい。それが叶わない超長期休暇が子どもの頃私にとっての夏休みでした。

外に遊びに行くのは許されず、友人と連絡を取ることもできず、暇とエネルギーを持て余した親に一挙手一投足までギラッギラに監視され、いちいち大声で罵倒され、面倒な家事は全部押し付けられ、空いた時間に本を読んでいても文句を言われ(本といっても純文学系ね・・)全て言われたとおりにしてもどこに地雷があるか日々変化するので分からず、いずれにせよヒステリックにキレ散らかされ・・ビクビクしながら1日が過ぎ去るのをただ息をひそめて待つ毎日が6週間も続く地獄の季節。家族旅行なんてなし。1日どこかに遊びに行くもなし。家庭内の雰囲気はただただ母の怒りと罵り言葉に満ちた閉鎖空間。

小学校低学年で既に「夏休み=地獄の6週間」の公式が頭の中で完成し、休みが近づくたびにどーんと暗くなっていました。

 

家庭内の空気は親の幸福度によって決まるのは皆様ご存知の通り。

両親の精神状態がどうなのかがベースですが、特に母親のそれは家庭を直撃しますよね。親は親である以上それを自覚して、家庭のためにも自らが幸福であることに責任を持たなくちゃいけないと思うのです。

人間ずっと幸福一辺倒ということはありません。鬱々とする時があってもいい。幸・不幸含めて人生。それを理解した上で、それでも人生の山も谷も自分なりに楽しんで生きて行けるように自分で責任をもって工夫するというのも親のつとめ。

というよりもそこ一番大事~!なのですよね。

 

 

不満だらけの毎日はお前たちのせいだと家族に、特に弱い子供に責任転嫁し日がな一日当たり散らし、身近な家族を自分の都合のいい駒のように操ることで自分の人生を立て直そうとする人は、程度の差こそあれ意外に多いのかも知れない。

それを『家族は助け合い』などと綺麗な言葉でラッピングして自分は甘い汁を吸うだけの美味しいポジションを陣取る。親子という自分が圧倒的に強く有利な立場であることを利用して。

 

それを継続して突き詰めて行っても誰も幸せにはならない。

それは自らを生きることを放棄するということがスタート地点になっているから。どこまで行っても自分が生きてこないから。

子供が小さい頃は精神的に『子供におんぶに抱っこ』状態。

それを放置していると子供が大きくなった段階で精神的+物理的ともに『子供におんぶに抱っこ』と悪循環の輪が一層広がる。

これがいわゆる共依存。

共依存が進んでしまうと沼に深くはまった状態で抜け出すのが難しくなる。時間が経てば経つほど。

 

水は低きに流れ、人は易きに流れるもの。

人間関係において一旦有利な立場に立つと、余程意識して自らを律しなければ弱い立場の人間に気持ち悪く甘えるということを人間は往々にしてやってしまう。それも無意識に、自らの権利であるが如く。つまりどんな場面にも共依存の種は潜んでいる。況や家庭という閉鎖空間をや、である。

 

あら!また沢山書いちゃったわ。

要は自分と自分の人生をよくよく見据え、どれだけ身近な人間であろうとちゃんと境界線を引き、それぞれに人格も人権も人生もあるのだということを意識した上で自分を生きるということに注力していけば、家庭は地獄にはならない。本当の意味での自立&自律を意識しようということ。

そうすればたとえ今地獄でも、少しずつ好転させていくことはできるということを、地獄の底から這い上がってきた身として書きたかったのでした。

 

というと何となくこんなイメージが思い浮かびますが、まさにこんな扱いをされていた私。

ハリーポッターの屋敷しもべのドビー

 

べったり甘えてこられる、依存されるのを許すのは愛ではない。それは共倒れの萌芽を促すだけ。

相手の依存を断ち切るのが愛。

毅然として不自然な甘えを突っぱねるのも愛。

その勇気を持てるか否かは人生の大きな分かれ道。

そして家系の大きな分かれ道。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

これはベルサイユ宮殿のショップの一角。

実は美術館、博物館などにある付属のショップが大好物なのです。

 

コメント

  1. 佳代様 ご返信ありがとうございます。昔のACさんは大変でしたよね・・・日本では家族を悪く言う事はタブーでしたから。
    でも、乗り越えた人はオセロの様に、黒を白にひっくり返して広がるイメージがあります、または泥の中から綺麗な蓮の花が開くように。

  2. 佳代様 度々お邪魔を。機能不全家庭でトラウマを抱え、上手く生きられない人が多い実情がネットやSNSの普及により顕わになりましたね。
    若い時は、言うべきでは無い相手に心境を漏らして後悔する事もありました、普通に育った方々には理解の及ばない内容も多いからです。
    近年は、克服した人の経験談に助けられる人も多いのではないでしょうか。佳代様のブログもしかり。
    ツイッターではmorning @morning13562733 ←心理学と経験から学び得たことの発信に色々な反応が見られます。
    先の投稿写真から佳代さんの才色兼備がわかりました。家庭・経済に「恵まれ育った」美人に性格のきつい人も多いので、もしかすると、沢山徳を持って「修行」に出てきたのかもしれませんね。辛い経験から他者への洞察力が身に付くといいますか。今がお幸せそうなので書いてみました。

    • こんにちは、コメントをありがとうございます。
      morningさんは私も最近見つけて読ませて頂いていました。とても分かりやすく言語化するのが上手だなと思っていました。
      Twitterは啓蒙や啓発というよりは、ACの人たちがどんどん内側を吐き出すのにいい場所ですよね。
      こういう場がなかった時代のACさんたちは大変だったろうなとよく考えます。

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