ちょっと長くなりましたし、面白い話ではないのでそういうのがしんどい人はパスして下さいね。
私がやっている算命学の鑑定というのはご相談者個人に意識を集中して、その方の環境や背景、人間関係など命式をベースに深く解析したり、お話したり、ひも解いて行ったり、その上で今後どうしようかの人生戦略を一緒に練っていくという作業です。
なので自然と私がまともに向き合える人数というのは限られてきます。つまり大量生産大量消費・薄利多売・誰でもどんどんいらっしゃ~い♪的ベルトコンベア作業のような広く浅く大量にを狙ったサービス産業とは真反対の性質を帯びます。
つまり、私は誰でも来てね!とは全然思っていません。
限られた時間とエネルギーを最大限費やしてその依頼者様の人生を読み解き、より良き流れに持って行こうという共同作業をする。毎度呆れるほど本気で取り組みます。
ということは
あなたにどうしても算命学で見て欲しい、あなただから
という人を優先したい。私の力を必要として下さる方と繋がりたい。
算命学という学問の性質から考えても、それくらいの勢いで、前のめりで
自分の人生を絶対に自分で何とかしてやろう
そのためにこの人の能力を借りればより前進できるのでは
という自分の人生に対する積極性、自分で取り組む能動性がある人でなければ算命学は力になれない。
あなたの人生の中心に存在し、その主人公であり、人生における自分に関する全ての決定権の所有者であるあなたが
俺は俺の人生を生きる、生き抜く!
という姿勢があって初めて算命学って役に立つものなのです。
今までも時々書いてきましたが、算命学とは
- それさえあれば人生の分かりやすい具体的な大正解が手に入って
- 鑑定の瞬間から心晴れ晴れ人生バラ色
- 人生の問題も壁も瞬く間に消失し、その後も現れることはなく
- 鑑定を受ければ瞬時に今まで経験したことのないような最高の満足を得られる
- 神の啓示
ではないということ。
魔法の力で人々を幸せにする人 by AI
算命学を隅々まで学んでも
算命学とはお客様に最高のおもてなしをするサービスで、触れるもの皆に快感と多幸感を与え満足させる神の技です
なんてひとっっっっことも書いていない。
それが私という人間が介入することで、算命学の鑑定がいきなり ご相談者をその鑑定1.5時間あまりで第七天国にお連れして最高の気分に、幸せにする何某かに変化するわけではない。そんなことは有り得ないのです。
人生を自分の足で歩んでいく、問題を解決していく、壁を乗り越えたりぶち壊したりしながら現実的対処をもって進んでいくことに変わりはありません。算命学を知ったからと言ってそこを誰かに肩代わりしてもらえるわけではない。
ただ算命学で自分と運気の流れを知ることで
この↑差を小さくする方向へ持っていける。ということは人生に現れてくる壁や問題を自ら無駄に大きくすることなく進めるヒントを得られるということ。知らないと『良かれ』と思って頑張ることでどんどん不自然な、苦しい方向へ進んだりしますのでね。これが大難を中難に、中難を小難に、小難を無難にということなのです。
こちらにお運び頂いている読者様や鑑定依頼を下さる方々は、本当に皆様良識のあるいい人ばかりです。
しかしたまーーーーにですがそういうとんでもない勘違いと期待で来られて、勝手にがっかりされて、そして目を疑うような失礼な言葉をぶつけてくる人が存在するのです。
それはつまりお金を払えば人生のあれこれをたちまち解決してくれるであろう魔法の何かを探しており、それを算命学の鑑定に求めてどうにかしてもらおうという人生に対する甘えであり、それが満たされなかったからその不満を目の前にいる私にぶつけてくるという構図なのです。
私は大概優しくて心が広いですが(真顔・いやホンマやぞ)、最低限の礼儀すらなっていない人はやはり耐えがたい。未成年ならともかく・・ね。それって私に対する最低限のリスペクトすらないという現れですので、そういう人に私が丁寧に接する義理はありません。そんな甘えた人にヨシヨシ対処するサービス業をやっているわけではないので、そういう人は一切譲歩なしに完全に私の世界からは締め出します。
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あと礼儀といえばですね・・・
メールって手紙みたいなものですよね?
手紙って
- 宛名:〇〇さん(様)へ
- 始めのちょっとした挨拶
- 要件
- 締めのちょっとした挨拶
- 差出人
はお互い面識のない一般社会人同士のやりとりとしては最低必要ではないかな?と私は思うのです。
別にだからといって堅苦しく 拝啓、敬具、かしこ とか要りませんし、季節の挨拶がなければならない!とかも全く思いません。
AI 作 謎のメール
ただ、このブログをよくお読みいただく方々から見ると私は しょっちゅう見てるあの人 かも知れませんが、ご連絡を頂く私から相手方を見ると 完全に初めての人 であるわけです。それがなんだか数回のやりとりで
長年の付き合いのある親しい友人とのLINEかな??
みたいな文章が来ると面食らうのですよね。いやホントに。
たとえば私は鑑定の後1週間のメールフォローをお付けしていますが、その質問メールに上記5件のうち要件しか書かれておらず、しかもそれまでのやりとりの流れの先の『返信』という形でメールを作らず新規メールで来るといったようなことが1度ではありませんでした。そういう場合
これは誰?何の話?(で、私たちそんなに親しかったっけ??)
となって、メールアドレスを使ってまず『誰からの』『どんな話の続きだったか』を大量のメールから掘り起こすところからスタートしなくちゃいけないわけです。
いや、ちょっと配慮なさすぎじゃない・・?
(私は大抵複数の人とやりとりしていますので)
となって何というか宿命や運気の流れ以前に、その辺で自ら損して生き辛くしてるところがあるのでは・・・?と思ったりすることもあったりします。
そういうわけで、最低限の礼儀作法は守ってやり取りしましょうね、その方がお互い気持ちいいですよねというお話でした。
手紙を読む女 by フェルメール
『宛名なし、最初の挨拶なし、締めの挨拶なし、差出人の名前もなし・・・用件だけって誰のナニコレ??』
算命学でも
伝達は礼儀を伴って初めてちゃんと伝わる
と言いますが、これ本当よ。
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