忍耐 忍耐 忍耐力ぅ~!
やっぱり学ぶのって楽しい。ひたすら面倒臭くてPC蹴っ飛ばしたくなるのに少しでも進んでると感じられると
よっしゃ!
ってなるのよね。まあ多分変態なんだわ。
初めて何かを身につけようと思うと、最初は向き不向き云々より
ひたすら忍耐力勝負
なところがあると思う。そこを耐えて乗り切ると少しずつ
それが自分に合っているのか
自分はそれに向いているのか
それを本当に続けていきたいのか
が見えてくる。
私が最近始めた新しい勉強は、PCに特に強いわけでもない私にとっては
出てくる言葉をいちいち知らないので、片っ端から調べてはやってみる
この繰り返し。
昨晩の私:
ボロボロ
新しいことを身につける時、前に進もうと思うと自分の表も内側もサンドペーパー(やすり)で擦られるような抵抗感をおぼえる。自分に合わないものほどそのサンドペーパーの目が粗くなる。じゃりじゃりじゃりじゃり。
私が今やっていることは一番目が細かい類のサンドペーパー感。難しいとか私には合わないとかではなく、ひたすら慣れるのに時間と地味な作業を山ほどこなさなければならず面倒&面倒。山のような根気と忍耐力が必要。
算命学に出会った時はそれがなかった。驚くほどなかった。研磨工程の仕上げに使う、目が一番細かいサンドペーパー感ほども抵抗がなかった。自分にぐんぐん入ってきて
確かに頭は使うけれどこれ以上私に合う何かはない
これだ、間違いなくこれだ
私が今世で出会うべきものをやっっっと見つけた!
と思ったものだ。
これ、算命学でいう相生・相剋関係のアレだな。
自分にとって自然の流れに沿うものは無理なくその世界に入ったり、身につけたり、そこで伸びたりとエネルギーの浪費が少ない。これが相生の関係。
自分にとって不自然なものはスムーズに流れない。無理に進もうと思ってもじゃりじゃりの抵抗があちこちに発生する。それがサンドペーパーの目が粗い版程度ならまだいい。もっと合わないものであればそれが目の前に石の山の壁になって現れて、一つ一つどけていかないと前に進めなかったり。石に混じってこちらに向けられた矢が紛れ込んでいたり。本格的に合わないものであれば、そもそもが大きすぎる壁でそこを越えようとすら思わない。目を向けることすらない(たとえば私が野球選手になろうと思ったことがないように)。
でもこの世で生きている以上、そうそう無抵抗でぐいぐい進めるドンピシャな何かを見つけるのも難しいよ。だから
これかな?
これもいいな
これ面白そうだな
と思ったものはやってみるのだ。自分がどれくらいのじゃりじゃり感を感じるのか、サンドペーパーの目の粗さはどれくらいなのか。
サンドペーパーの抵抗の強さとそれでも進みたいという自らの気持ちとの兼ね合いをよく見極めて進路を決める。エネルギーを浪費しながら進むことは良くない!なんて誰も言っていない。それでもそれが好きでやりたいのであれば、そのまま突き進めばいいのさ。
“抵抗がある中、それでもじゃりじゃりしながら進む” というのも、この世で生きる醍醐味なのだよなあ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
「はい、石あげる」「いや、いらんて(なんでやねん)」
中世の謎作品
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