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危機察知能力のある人、ない人

 

算命学ではその人の危機察知能力の有無というか強弱を命式から見ることができます。

 

で、本日のこの記事:

 

 

これは 以前私が記事にした ↓ ドイツのトップウイルス学者であるドロステンさんの懸念についての記事なのですが

 

 

ドイツでは外出自粛が少し緩められて、800平米以下の規模の店は再開してもいいことになりました。

そうすると今まで外に出たくて堪らなかった人たちが一気に外に出てきて、人との距離2mを守るどころか結構な混雑具合になっており。

こんな状態では今まで数週間頑張った自粛によって感染者数や死亡者数をいい感じに押さえられてきたのに、また増加傾向に転じて

せっかくの苦労が水の泡になってしまう、もっとみんな今ある危険性を意識して欲しい、といったドロステンさんからお話なのです。

 

 

これ読んで分かったわ。

 

これ、危機察知能力の有無の問題 だわ。

 

本当に危機察知能力が機能している人というのは
誰かが、例えばここでは政府が『 外に出てもいいですよ 』と言ったから~
みたいな理由に自分の身の安全を預けたりはしない。
情報を参考にすることはあれども決して鵜呑みにはしない。

私が見る限り、本当に危機察知能力が稼働している人というのは結構な少数派。

危機察知能力の有無でパカッと分かれるということが、私には今まで分からなかった。

本当に分かってなかった。

そして今日いきなり気付いた。

 

算命学で見て危機察知能力を生まれ持っていると言えたとしても、それが機能しているかどうかはまた別の話。

持って生まれた能力というのは、常にそれを活用し、磨き、研ぎ澄まさないと有効には活用できない。

いくら龍高星だ玉堂星だがあって、水性の多い命式だなんだ言ったところで、子供の頃から学ぶ姿勢が身についていなければ

一生 “ 地頭のいいアホな人 ” で終わってしまうのと全く同じ。

 

今目の前にある危機を本当の意味で察知している人たちというのは

そうでない『 何となく情報に触れたり触れなかったりしながら、やはり核心に迫る部分は自己決定しようとせず

何となく周りの大多数の顔色を窺いながら、何の意見を出すこともなく押し黙って

目立たないように長いものに巻かれる 』人たちに本気で警告を発する。

 

そのままではガソリンスタンドでマッチを擦って自爆するようなものだから。

下手すると自分までそれに巻き込まれかねないから。

でもその警告がとにかく通じない。

どれだけ事実やデータを並べてみたところで、彼らにとって大事なのは自分の命や身の安全よりも

何となく長いものに巻かれて、目立たないよう、刹那的に享楽を得ることだけ。

自分で分かっていないことすら分かっておらず、自分は分かっていると思い込み

無根拠に『 まぁ大丈夫だろう 』で危険に突っ込んでいく。

 

私は恐らく異常に危機察知能力が発達していると思う。

命式もそうだけれど、小さい頃から今まで自分の置かれてきた環境がそれなしには生きていけなかったからではないかと。

何年も楽器一本持って女一人であちこちの国に演奏しに行っても、一度も危険な目に遭わなかったのもこれ。

そういう自分の感覚をベースに考えていたので、こういう危険に無防備に飛び込んでいく人というのは

危険を良く分かった上で、その現実に直面する怖さから逃げて何もないことにしようとしているのだと思っていた。

 

 

真実は不都合だけど真実だと分かっている(左)、でもそっちじゃ都合が悪いから心地いい嘘(右)があたかも真実であるかのように振舞っているのかと思っていた。

でもそうじゃないんだ。

本当に真実が見えてないんだ。

現状を把握した上での現実逃避なんかじゃなかった。

分かってない、だからいくら口酸っぱく説明されても、事実とデータを持って証明されても、その危険を感じ取れない。

 

これ、311の原発事故の時も不思議で仕方がなかったこと。

全く同じ構図だったけれど、あの時も私は何故『 分からない人はいつまでも分からないのか 』が分からなかった。

 

危機察知能力が正常に稼働していたところで、それでも災禍に巻き込まれ得るのが現状。

今後その能力のある人とない人が大きく二分化していくのかも知れない。

 

聖書の

聞く耳のある者は聞きなさい

というイエス・キリストの言葉を、ふと思い出した。

 

 

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コメント

  1. 佳代さん
    皆がこんなにも恐怖を感じ、足掻いている時に、私は静かに思うのですが。もし感染してしまい、その時が来てしまったら受け入れよう、それが私の寿命だなと。何故か今回この心境がずっとあるのです。特に自殺願望も将来を悲観するようなことも元々ありませんが、過度の恐怖や悲壮感もなく、淡々と終活のような身の回りの整理をしながら暮らしているわけです。
    かと言って、諦めたという感じでもなく、精一杯生きているのは間違いなく自分の中の感覚なのでうまく説明できませんが、天中殺ゆえの究極の受け身体制なのでしょうかね。

    • コメントありがとうございます。お返事遅れてごめんなさいね。
      そう言う感覚も良く分かりますよ、私の友人がそのタイプでよくその話をします。
      私もSARSの時は子供がおらずそんな感じでした。
      ただ子供がいると、絶対に守ってやらないと!というのが真っ先に来るので、なかなか以前のようにはならないという感じですね。

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