算命学でいう『愛』とはキリスト教的な
あなたのために〇〇をしてあげます とか
◇◇を守ります といったような種類のことではない。
算命学でいう『愛』とは『信じること』ですよ
というのを勉強していたのですがね。
五徳=仁義礼智信 を算命学の十大主星に沿わせて並べ替えると
- 貫索・石門:仁
- 車騎・牽牛:義
- 鳳閣・調舒:礼
- 龍高・玉堂:智
- 司禄・禄存:信
となります。
つまりこれを東西南北・中央の位置関係で示すとこうなるわけです。
広く大きな集団に向かう愛である禄存星
個人的世界における身近な人間関係に向かう愛である司禄星
ここでいう『愛』は『信じる』という行為に該当するのだと。
そしてその『信』は中央に位置するのであり、東西南北全ての要素を備え持たなければ成り立たない、実現できないので
相手が五徳(=仁義礼智信)を備え持たなければその人物を真の意味では信じることができないし
また自分も五徳(=仁義礼智信)を備え持たなければ誰かを真の意味で信じることはできないのであると。
愛情表現として『あなたのことが心配で』という言葉をやたらぶつけてくる人はいますよね。いるんですよ。
それを言われるたびに私は昔から気持ちが悪くてムカついてたまらなかったのですがね。つまりそういうことなのですよ。
あなたのことが心配 というのはつまり
お前なんてどうせダメに決まってるんだから上手く行くわけないだろ、それが不安だし鬱陶しいんだよ、ぜんっぜん信用してねーから
という発言者の内面の不安でしかない。
そしてそれを『あなたのためを思って』という何だかキレイそうなラッピングペーパーで包んで遠慮なく顔面にぶつけてきているだけ。
それは不信感の表れであり、相手に対して無礼この上ないことなのです。
自分が弱い人ほど、つまり五徳が欠けている人ほど相手を信用できない。
本当に相手を大切に思いその成長と幸福を願うなら、その人物を『信じる』という決断に至る。
誰かに信じて貰うということが如何に心強いことか。如何に自らに力を与え、努力と勇気に繋がることか。
それを考えると、算命学の言う愛の何たるかが本当によく分かりますよね。
色々な愛の形はあれど、私も最終的には子供を心から信頼して世に送り出す五徳の備わった親でありたいなあと思いを新たにいたしましたとさ。
本日もお読みいただきありがとうございました。
ちなみに鑑定依頼者の皆様には『信頼大前提』で鑑定に臨んでいます。
そりゃそうですよ、面倒なあれこれのハードルをわざわざ超えて鑑定を受けに来て下さっているという時点で、もうそれだけ『自分の人生どうにかしてやろう』という自力本願タイプである証明に他なりませんからね。『この人は出来る』を大前提にお話をさせてもらっています。『できないかも』なんて0.1㎜も思ったことがありません。どこまでもその人の可能性しか見ていない。
そしてそれもやはり私がかつて(楽器の)師匠から常に向けて貰っていた『信頼』という愛の姿勢を受け継いだもの。私がしてもらっていたように自然と自分もそうしているのです。
「木蔭」千種掃雲作、1922(大正11)年
コメント
初めてコメントさせて頂きます。
今佳代さんのブログを最初から読ませて頂いており、育児の合間にとっても充実した時間を過ごさせて頂いています。ありがとうございます。
最近の記事はどんなだろうと読んでいたら今回のお話、、!!はっ!!としました。
私はまだまだ大事な人を信じ切れてないなあと。。でもその為に必要なことがわかって、いつか信じ切れる日が来るのを楽しみに日々自分らしく生きることに注力したいと思いました。
滅多にこういったコメントはしませんが、私の調舒星をここで使ってみようかなと思って失礼させて頂きました。
今も以前の記事も、心地の良い文章の感じが変わってなくて(私も関西人なのでイントネーションまで完璧に入ってきます)、これから先も読み進めるのがとても楽しみです。無料でこれだけの情報量を提供して下さり、大感謝です。
いつか鑑定をお願いしたいです!
それまで頑張ります!
こんにちは。育児お疲れ様です、お体大切になさってくださいね!
調舒星持ちさんなのですね、是非子育てからちょっと余裕が出てきたらご自身の何かを発信・表現なさるといいですよ~
調舒星は長年放ったらかしておくと大真面目にキレまくりますからね(笑 是非人生を楽しんで下さい♪