前回の続き:
彼女のお話をいちいち『 分かる分かる、そうなんだよ 』と思いながら聞いていた。
作品に祈りが乗る、の話もとてもよく分かる。
私も以前同じことを書いている。演奏とは究極的には祈りであり、そこに弾き手の祈りだけでなく会場にいる人たちの意識=祈りが乗ってその空間・時間が完成されるのが本当の音楽。
彼女はそれを絵画でなさっている。
分かる分かると思いながらも、生い立ちが激しく眩しい。
小さい頃から親御さんが世界を飛び回り、子供であるmaisさんに様々なものを見せてくれた、そして親御さんと交流のある人たちが『 これだ!』を見つけて生きている人たちで、そこから大きな刺激を受けて今に至るという話。
眩しい。素直に眩し過ぎる。
そこには『 娘がキラキラした楽しい子供時代や青春、そして人生を送ることは死んでも阻止してやる、そんなもの全力でぶっ潰す!お前は大人しく生涯私にとって都合のいい奴隷でいろ!』と般若の形相で人生かけて足を引っ張ってくる親は存在しない。何とか藻掻いてそんな中でも生き延びる努力をしながら、それでもこちらの命を全力で殺しにかかってくる人間とどうにかいい関係を築けないかと考え骨を折らなければいけない何十年という、とんでもないエネルギーと時間の浪費期間もない。
子のためを思って出来る限りのことをしながら、自らも人生を楽しみ生き生き生きるという素晴らしい手本となる大人が、実の親としても、それ以外にも複数存在している。
まとわりつく家系の毒などなく、真っ直ぐエネルギーを作品作りに向けられる環境は私には到底想像もつかない。
この眩しさ。そして
この差よ(笑)
同じ『 これだ!』を模索し見つける道中でも、標高が違い過ぎる。
私はマリアナ海溝やチャレンジャー海溝まで引きずり降ろされた状態から云わば原状回復的に、まず水面に顔を出すことを目標に進まねばならず、それと同時進行で『 これだ!』を模索し見つけて生きている。生きてきた。
かたや生育環境に恵まれると素直に出生時の標高0mから紆余曲折を経ながらも、成人し独立する頃にはちゃんと地上の山レベルになる。なるんですよ、殆どの人は。お気づきで無いかも知れないけれど。これが標準装備。これが通常形態。本来こうであるべき形。
なもんで、この方にとっては当たり前の標高の高さが眩しくて眩しくてね。
とても羨ましいには違いないけれど、だからといってこういう恵まれた人を恨むとか妬むとか、この野郎!と思うことはもちろんない(笑)
今世限りという超近視眼的に捉えればそれはとんでもない不公平ということになるけれど、魂の旅程というながーい目で見ると実は全て平等。こういう方はこれをこの形で成し遂げるために、生まれる前からいくつもの人生を賭けて準備してきた人。この動画だけでは分からないけれど、おそらく魂年齢は大先輩。
私は準備はまあまあしてきたけれどまだ十分ではなく、準備と前進を同時進行でという( 実に車騎カラー濃い < 牽牛+天報星 > ×2 のせっかちさ丸出しの )
- 最高レベルの家系のドブさらいに突っ込んで行って見事達成した暁には徳をドーンと積めます、しかもボーナス有!(但し命の危険アリ、でもここで得た徳分、次の人生で使えます)
- ドブさらいだけじゃもったいないので、周りに惑わされず『 これだ!』を何とか見つけ出し、継続し、達成し・・・を繰り返し点を繋いでいくのも同時進行でGO!
な超過酷貪欲コース選択。
『 これだ!』があることを知って、それを見つけて、それを生きる人生は素敵。
でもそうじゃない人生ももちろんOK。皆誰もが自分に必要な地点に立っている。誰もが自分のペースを守っていい。そこからどちらに進んでいくのも自分次第。魂の行程は全て自分次第なのです。
そうそう、点と線の話。
あれも彼女は今世での話としてされていますが、魂の行程という観点で見ても同じ。全ての輪廻転生における経験はバラバラで無関係に見えて、実は全て最後には繋がって『 どれも無駄じゃなかった、必要だったんだな 』となるのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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