この記事からの続きです:
算命学では能力を以下のように五分類します。
- 習得、インプット、知性、過去
- 守り、芯の強さ
- 伝達、表現、未来
- 引力、魅力、財と人間関係、権力
- 前進力、攻撃力、行動力
これはざっくり分けた状態で、算命学ではもっと具体的に細かく見ることができるのですよ。皆5つ星を持っているけれどどの星が最も秀でた才能として使いやすいかとか、その星が社会で生かされやすいのか否かとか、この星はどんな風に活かせるのかとか。
たとえば玉堂星・龍高星は習得、知性の分野に属します。するする勉強しやすく(興味あること限定の場合もあるがまあ一般的に)頭が働く。頭が良い。
その頭の良さは例えば
- 完全に無形の世界で学問や芸術、宗教の真髄を純粋に追究するのに向いていて、現実生活に結びつけるのは苦手とか
- いやそういう高尚な分野よりは一般的な日常生活に役立つ工夫や知恵なんかに携わると右に出るものはいない、なのでそっち方向で活かすといいですよとか
- その2つの中間あたりで、とことん突き詰めた無形の本質を形あるものにして世に紹介するポジションでその頭脳が最も活きますよ、とか
より細かく適正や方向性を見ることができるわけです。
しかし私は思う。
算命学が呪いになってはいけないと。
( この呪いはまあ仕方ない、プーの身から出た錆よ)
人間、99いいことを言われても、1つ悪いこと or イマイチなことを言われるとそちらに意識がどーんと引っ張られるものです。
もし玉堂星がある人が猛烈に学者志望なのに 2番タイプなので企業で製品開発何かにその知恵を使ったらどうですかね?と言われたら。そして人に言われたことをものすごく気にしてしまうタイプだったとしたら、算命学の分析から来る具体的な助言が壁になりかねない。こっちで頑張ろう!と思ってるのに、その言葉ひとつがその人の足を引っ張りかねない。
なので伝える時はざっくりした大きな枠を正確に伝える、そしてその大枠の中でその星をどう生かすかはご自身で決めて頂く。人生は本人のものなのだから一番大事にすべきは本人のしたいこと、意思、希望なのですよね。それがないとそもそも本気なんて出せないよ。
前回の記事にちょっと書いたウクライナのゼレンスキー大統領。才能が世に認められやすいか云々を細かく見ると、正直認められ辛い。でもご本人が腹を括って国の代表になった、そして今は祖国を全人生賭けて守り抜こうとしている。持てるもの(星・宿命)は最大限使い尽くして、この人生を燃焼し尽くす勢いで目的達成に向けて日々を生きる。そうすると現在のように社会どころか世界から一目置かれる存在になり、世界に多大なる影響を及ぼす存在にもなる。
人間の力ってこれだよね。あの人が特別なわけじゃない、皆潜在的にそういう可能性も力も秘めているのです。
人間って無限の可能性があり、本人次第で無限の力を出せるので、その星があるのに 算命学でこうなのでこっちは向いてませんわ~とか、こっちはダメですねやめといた方がいいですよ~とか勝手に制限るようなことは 絶対に言っちゃいけない と私は思うのです。それはその人にとっては呪いの言葉でしかなく、足枷にしかならないから。
注: 天中殺で○○はやめた方がいい、などという話はまた全然別のテーマになります。
The Trinquetaille Bridge 1888 by Vincent van Gogh
前回の記事で義勇軍に参加する人ってどんな人だろうね?と書きましたが、偶然一人見つけたので次回はその人について見てみましょうか。本日の記事とも関係のあるお話しになります。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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