何故こんなことを書いているかというと、この間ここで演奏を聴いていた時
様々な思いが過ぎっていたからです。
この記事で書いたようにそれはそれは素晴らしい演奏で、最高に幸せな時間を過ごせたコンサートでした。『 これは私が死に際にこの人生を思う時、素晴らしい瞬間として必ず思い出す恍惚の瞬間だな 』というような。
そういう至福の時にこそその演奏家の人生とか、私がこの人生でこの演奏をここで聴いている意味とか、何故私は生まれて来たのか、何故まだ生きているのか、今世ですべきことは、いつまで生きるのか、そしてその後にどうつなげていくのか・・・などが内側に噴き出してきます。意識して考えるのではなく、日常生活では石板で押さえ込まれていたものがあっさり蓋が開いて噴出してきて、その大きな渦に自分が飲み込まれる感じ。
至福の瞬間にこそ、自分がこの世とあの世のギリギリの境界線上で両側に片足ずつ置いて立っている、そんな自分の立ち位置をこれ以上ないほど意識させられます。そしてそんな時ほど『 一体いつあっち側の世界に帰れるんだろう?』という、私が物心ついた時からずっと抱えている望郷の念が強く出て来るのです。
よくここにも書いているように、私は今とても恵まれた状態だと思う。何に欠けているわけでもなく嫌なこともストレスもなく、家族の病気や不倫や極端な窮乏に困ることもなく、家族仲良く毎季節の休みには国境を越えて旅ができる程度の生活を実現できている。
でもやはり。
至福の中、目の前で演奏している神を見ながら『 72歳・・・私はこんなに長くは生きられないな。というかそれは私には長すぎるんだ。』などと大真面目に思い、私にとって後天運的にでっかい山場が来る60歳前後で何とか卒業にしたい、絶対にそうしなくちゃ、そこまで後もう少しだけ頑張れば、などと考えるのです。
多分私の100%異常干支命式の異常性が一番出ているところって、この感覚なのだろうな。
田中カ子さまには心よりご冥福をお祈り申し上げます。
Blumen Rosen Henri by Fantin-Latour (1882)
本日もお読みいただきありがとうございました。
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