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プーチンの「壊れてもいい」という意識:冲動、そしてここでもドブさらい(1)

 

ここしばらく「 壊れてもいい 」という冲動から来る意識について考えています。

 

宿命に冲動がある人は「 壊れてもいい 」という意識が働く、などと算命学では言われるのですが、これ間違いではないけれどこれだけ聞くと表現が激しいかなと思うのです。

私は自分で宿命に冲動を2つも持っていてよく分かるので、私の感覚からもその辺を書いてみますね。

 

冲動というのは十二支を時計版に並べた時、180度真向いの組み合わせ。

子と午、戌と辰とかですね。

 

真向いということなので要は真反対の方向への2つの力が働く、その両方を持っているということ。それらはぶつかり合ったり、一方に向いていると思ったら180度ひっくり返ったり、互いに反発し合ったりと、要は融合・和合的な2つではない(だから良い・悪いというわけではなく、そういう性質ですよという話)。この組み合わせを持っていると、人生を通じて常に内的葛藤を抱えます。

そして人生で思い切った大きな方向転換をしたり、ちょこちょこ方向転換を繰り返すことで前進していく傾向があります。人生行程の癖みたいなものですね。

 

この方向転換。

今まで積み上げ成し遂げてきたことをぱっとあっさり手放して、全然別の何かを始めるようなこと。これは『 手放す 』という他に、周りから見ると『 せっかく今まで作り上げてきたものや世界・人間関係などを放り出して、それが壊れてでも、それを壊してでも先に進む 』という風に見えることもあるでしょう。多くの人はせっかく今までやってきたことをあっさりやめて新しいことを始めようとはなかなか思わないものだからです。

 

これはしかし冲動を2つ持つ私の感覚で言うと、全部リセットしてまたゼロから始めたくなる衝動なのです。

今までのものは経験としてよかった、有り難かった、でももう今はその時期ではない。さあまたゼロからスタートしよう!といった感じ。小さい例で言うと、このサイトも一旦全部消してまた最初からスタートしたいとしょっちゅう思っています(笑)今のところ踏みとどまってはいますが。

 

この手放しても良い、今までのものが壊れてでも前進しようと思う時、【何が】壊れてもいいのか、【何を】壊してもいいと思うのか。これは人によって大きな違いが出てくるところ。

 

自分の持ち物や経歴、今までの人生は丸ごとリセットされてゼロになってもいい

でも他の人には出来るだけ迷惑を掛けるまい

 

と思うのか

 

自分のあれこれもリセットするけれど、周りも巻き込むかもしれない、何なら全てを破壊してでも別に構わない

 

と思うのか。これは偏(ひとえ)個人の道徳観の問題です。

 

後者にも程度があって、たとえば外国に移住しようと思う時、周りの人は悲しむかもしれないけれど仕方がないとか、会社を畳もう or 売却しようとする時メンバーは環境激変で大変だろうけれど仕方がない、などは無害な範疇で許容範囲でしょう。

 

でもそれが全く建設的でなく、他人に人生を左右するような多大な迷惑を掛けても全然平気な場合もある。

意図的に害を加えながら破壊して進む。その分かりやすい例が犯罪行為だったりテロだったり。

コメント

  1. 壊れてもいい、という発想は、自然法算命学の観山先生が、まず言われていました。確かに、そういう動きの最大エネルギーがこんな形で繰り広げられるとは。。

    • 冲動があると極端から極端へ走るというもの出てきますね。
      はよ誰か止めて頂戴よ・・ロシア人さんたちよ~!と思います。

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