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自分と世界や次元が違う人との遭遇(1)

 

天才というと『 ああ、あの人は天才で、ああいう能力を神様からぽんと与えられて生まれてきたのだからラッキーだよね 』といった風に、まるでくじ引きに偶然当選した人と同じように考えがちではないかな。少なくとも私は以前はそうでした。

でも色々な人を見てその作品に触れて、その人の話を聞き、また算命学の理解が深まるにつれて、今ではそうではないと分かる。『 このフィールドでこれに携わりながらこんな人生を送りたい 』の最終目標を実現する人生。そこに向けて何度も生まれ変わり、その最終目標を完全な形で実現するため、可能な限り万全の準備をしてきたという長旅がその背景には存在する。

 

今私が知る限りで『 この人は確実に今、長い流れの終着点にある大本番の人生を実現しつつあるな 』と思うのは、ピアニストのキーシン氏ヤン・リシエツキー氏フランク・ペーター・ツィンマーマン氏もそう。ロシアの画家、レーピンもそうかもしれない。そして多分算命学の高尾宗家もそうなのではないかなという気がする。ただ高尾宗家は今世が( 既に鬼籍に入られています )ゲネプロで次回が本番、次は更に一段高く大きく!でもおかしくないかな。(直接お会いしたことはなく書籍から受ける印象ですが。)

 

準備の人生では毎度その人生でマスターすべき能力や積み重ねるべき経験、やっておくべき課題があって、それを知るのにも実は算命学はとても有効なのです。例えば私の場合であれば

 

皆にちょっとやそっとでは受け入れられない、馴染まないような環境でも孤独に耐えられるか?孤独耐性は今回で身につけておいた方がいいぞ?

寂しさを紛らわすために周りに迎合したりせず、自分の美学や理想・こだわりを大切にし、自分を貫くことができるのか?安い妥協はするなよ?

表面上の『らしさ』で誤魔化すのではなく、地味でも物事の真髄を追求しそれを伝え続ける。それとともに個を確立するという、そんな在り方にこそプライドを持つことはできるか?

 

などを常に突き付けられています。その自覚がある。今世だけであれとこれとこれと・・・といくつもマスターしなければいけないので、一つのことに絞らずあれもこれもする人生設計になっている。臨機応変に思い切って方向転換することも、有形の世界だけでなく感覚の世界を大切にし存分に使う練習をさせられているのも、それらを次回にどう繋げて行こうとしているかも分かる。

 

 

ただこれは『 人生の存在意義、何故この人生を生きているのか 』といった人生のずっと奥深くにある目に見えない世界の真理・システムの話。下の図でいうと無形の世界のずっと奥の話。

 

 

なので、無形の世界と有形の世界にまたがる算命学で鑑定する場合、お伝えする部分は命式というもっと目に見える表に出てくる部分やそこに見る生き方などをお伝えする、オーソドックスな鑑定と同じになります。

伝えられた命式の意味をどのように自分の人生に還元するのか、人生にどんな意味付けを見出すのかは人によって違って当然。

 

また、人生を何度も繰り返すなんて信じられない、そりゃ妄想だという人もいるでしょう。それはそれでいいと思う。私が書いていることを信じて欲しいとは全く思わないし、証明ができることでもないので、各自が生きやすい説を取って人生を解釈すればいいのではないかな。

 

けれども “ 死ねば自分という存在は雲散霧消して完全に無になる ” という発想については、私はもう物心ついた頃から『 どこにそんなムシの良い話が転がってるんだよ 』と思っていました(笑

そりゃあそう信じていれば

 

人生一回ぽっきり逃げ切りゴメン!食い逃げ上等!

立つ鳥跡を濁してもどうせ自分は消え失せるからどうでもいいわ♪

 

な生き方になってもおかしくはない。

でもそうじゃないんだよね。人生『 禍福は糾える縄の如し 』。今世内でもそう、もっともっと長いスパンで自分の存在を考えた時もそう。ここでも陰陽がバランスを取りながら表になり裏になり、山に登り谷に下り進んで行く。

 

実は本日は位相法条件の害と大半会について書こうと思っていたのですが、前置きだけで1記事分くらいに長さになってしまいました。なので( 気が向いたら )また明日にでも。

 

Sergei Toutounov (b.1958), Russian.

 

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