最近『 人間って刺激が強すぎるなあ 』とよく思うのですが、皆様そんなことありません?ありませんよねー。
別に言葉を交わさなくとも人間という存在自体の刺激が強すぎて、こっちがへとへとになってしまうという感じ。海水浴に行って海からの照り返しが強すぎると目がものすごい疲れるとか、キャンプファイヤーで火から十分離れていないと熱すぎてこちら側の肌がチクチクするとか、例えて言うとそんな感じかな。だからといって海にも火にも別に悪意があるわけではない。まさにそれと同じ。
嫌いな人が近くにいるとか、その人が私に悪意を持っているとか、イヤなことを言われるとかであれば心に刺さってしばらくしんどいのは普通ですよね。でも全くそうでないのに、ただそばにいるだけなのに目に見えない部分でこちら側の膜を破って内側に浸透して来る、近くにいるとこちらはそれをどうすることも出来ない。その侵入してきた何かが抜けるまでものすごくしんどいのです。これ実は子供の頃からずっとそうで、最近その傾向が強まっています。絵画や音楽といった普通ならあまりよく分からないところからよりはっきり情報が流れ込んでくるようになるにつれて、人間から受ける刺激もどんどん強くなり、その勢いとか強さ、エネルギーにあてられて参ってしまう。
最近数時間子供たちと群衆に紛れることがありました。ドイツの季節の風物詩、キリスト教イベント・子供の提灯行列。
昨日こんな記事書いておきながらわざわざ人の多いところに出て行ったんかーい?と言われそうですが
子供の学校の親も巻き込んだ参加必須イベントだったのです。それがまあ街の中心地で行われる街主催の大きなイベントで、すごい人人人・・・・
その時の私といったらまさにこれ
首を出して息をするのがやっと。すっかり疲れ果てて回復するのに長い時間がかかります。
こういうのを経験するたびに、毎日大勢の人と交流するのが必須の仕事をしている人はすごいなあ、やっぱり作りが違うんだろうなあと素直に尊敬しますし、よくこんな体質で6・3・3の12年学校生活乗り切ったよなあ・・・と自分で感心してしまいます。そして『 なんとこの世生活に適さない体質なのだろうか 』と呆れもするのです。
私には車間距離ならぬ人間間距離が必要。それがあれば割と大丈夫。その意味でこのフィンランド人のパーソナルスペース感には共感せざるを得ません(笑
バスを待つフィンランド人:
バス待ちのフィンランド人たちを採用した日産の広告:
これくらい離れてそっとしておいてもらえると私も大丈夫だと思う。もしかしてフィンランド人は私と同じような体質の人が多いのかな?やっぱり私のDNA2%に該当するフィンランド人魂が私をこの体質にしているのだろうか・・・(多分違う)
以前この道何十年の先生に命式を見てもらった時『 私の命式って大概生き辛い命式ですよね・・?』と聞いてみたところ、否定するでもなくニッコニコの笑顔で『 ね♪^^』と元気よくお返事を頂いたのですが、こういう体質も含むんだよなあ。( こういうのは命式に表れます )
今現在、月運天剋地冲が加わっていて余計にこの傾向が強まっていること、そして今年の接運と、夫の天中殺もあるので、それらを抜けたら少しはマシになるかな?とちょっとだけ期待しています。マシになりますように~ナムナム
コロナ感染防止のため人との間隔をキープして!と言われなくてもばっちりな彼ら。いいね♪
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