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相手のことを思うなら、信用して突き放す(2)

 

 

 

 

昨日の続き

 

さてここからが本題になります。

 

 

 

 

よく霊感のある人が

 

亡くなって尚こちらの世界で彷徨って成仏できない人を見かけても ( それに気づいても )

可哀そうだな、と情けを掛けてはいけない

こっちに縋り付いてくるから = この人が何とかしてくれるはずと依存されるから

 

といいますよね?

 

あれ生きている人も、亡くなった人も同じ構造なんです。

 

 

私があっち側の世界にいる彼女と繋がって分かったのは

 

自分で人生を終わらせる選択をした人が、あっち側に行って地獄の閻魔様的何者かに

罰則としてこちらの世界での苦しみと同じことを延々味わわさせられる

 

という話では ない のです。

よくそんな風に描写されますが、あれは違うということ。

 

 

現にその時の彼女は、生きていた時の考えにぎゅーっと囚われていただけです。

 

生きていた時とても辛かった

こんなことをしてはいけないと何度も何度も考えが行ったり来たりして迷った

でもこうするしか仕方なかった

 

という考えが色濃く残って、それがダイレクトに彼女のその瞬間の周りの環境として現れていたという感じです。

( 何故そんな他人の思考まで分かるのか、については説明が長くなるのでここでは省きます。 )

 

 

他の第三者的存在が彼女にそれを強制していたわけではない。

 

つまり、本人が自分で

 

あ!私はこの考えに頑なにしがみついて囚われていただけなんだ

本当はこんな風に考えなくても全然OKなんだ

 

と 気づいた瞬間その状態は解消される のです。

 

 

ということが分かったので、私は彼女に関しては全く心配していません。

 

時期が来れば気付いて成仏する、全然大丈夫だろうし

 

今彼女を思い出しても

 

元気で楽しく向こうでやってるといいな~ ニコニコ

 

くらいなものです。

 

 

これは生きている人だろうが亡くなった人だろうが同じことで

 

本当に困っている人はある程度までは助ければいいのです。

亡くなった人であれば、仏壇やお墓にお花を添えるとか、時々手を合わせるとか

そうやって

 

ちゃんとあなたのこと気にしてますよ

 

というサインを送るのは、向こう側が

 

ああ、こうやって自分のことを大事に思ってくれる人もいる 真顔

 

そうだ大丈夫だ、私は自分で何とかできる

 

と自分で気付き、自力で状況を改善し、自分で変化を起こそうという決断の契機になるということです。

 

間接的な影響であり、本人がどうにかするしかない

 

逆に言えば

 

本人次第でどうにでもなる状況 なのです。

 

 

昨日書いた

 

  •  毒親と子供の関係
  •  DV夫 ( 場合によっては妻 ) とその家族の関係  というよりむしろ
  •  様々なハラスメントを延々繰り出してくるハラスメント依存者と、それに心身ともにやられてしまう身近な人の関係 においては

    相手に情けを掛けてはいけない

 

という話も同じ構造。

 

ここでもある程度の助けは出す、しかし一線を越えてはいけない。

情けを掛けすぎて相手を自分に依存させてはいけない。

それをすると共倒れの肥溜め落下一直線コースになる。

 

 

 

 

 

他人を変えることはできません。

 

私たちがそれらの人のためにできることは

 

その相互依存関係から独立して自らの人生を充実させ、幸せに生きること

 

そして

 

あなたなら自分でできるはずだと相手を信用して突き放す

 

そして本人が気付き、自ら変化を起こそうと立ち上がるのを待つことだけなのです。

 

 

 

 

 

 

クローバー 余談

 

 

そのA君に お母様と繋がった話 をしたかというと、していません。

去年の帰国時にA君には会いました。

その時に言った方がいいのかな?ともちろん思いました。

というよりその繋がった瞬間からずっと考えてた。

 

自分の人生に関する決断は自分で下すんだ!と常々うるさく言っている私ですが

この案件においては私ははっきりと部外者で、ただの伝書鳩です。

私は伝える・伝えないを決める立場にない。

 

なので、もし伝えてほしい、伝えた方がいいのであれば

彼に伝える状況になるだろう

その時にちゃんと説明できるように私は頭の中を整理して準備しておこう

もし伝えなくていいというのであれば、伝えられるような状況は現れてこないだろう

 

という姿勢で彼に会いました。

結果、とてもじゃないけれどそんな話ができるような状況ではありませんでした。

他にもその場に大勢人がいたのでね。

 

ということは、これは伝えなくてもいいのだろう、と。

確かに私は彼女に繋がったけれど、特に遺族に伝言といったものがなかったのです。

なので、もし伝える必要があるのであれば、そのうちそういう状況が現れてくるのかも知れないなと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Die Bauern und die Zeitung, 1867 by Albert Anker (スイス)

 

この記事 にも載せましたが

彼の作品にはこのポカポカ暖房器具(オーブン)が頻繁に登場します。

私が見た実物も深緑のタイルが貼り付けられたものでした。

ここに人が集まるの分かるわ~、そして上で座りたいのも分かる、だってあったかくて気持ちいんだもの!

そして寝てしまうのも良く分かるw

 

 

 

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