非常に珍しく日本で対面鑑定を行います。残りあと4枠のみとなりました。
さて。
よく居場所の話ってなされますよね。
家庭内での居場所とか、社会での居場所とか。学校での居場所でも職場での居場所でもいい。居場所があると嬉しい、ないとしんどい。そういう話はよくされる。
たしかにそれは大事なことで、どこかにしっくりくる居場所があった方がいい。
けれども。
最近思ったのですよね。
そういう有形有限の現実的な居場所が大切であるのと同じように、精神の世界的、無形無限の世界に自分の居場所があるってとても大切。とてもとても大切。
陰と陽は常にバランスを取りながら存在するもの。
きっと自分の居場所に関してだって、現実世界での居場所と無形の世界での居場所の両方があって初めて人間は本当の意味でバランスを取れるのでしょう。
Swans, 1956 Escher
などということをこの最初の41分間のバッハを何度も何度も聴きながら思っていました。
私にとって音楽というのは疑いようもなく、心の居場所なのです。
それは私の拠りどころであり、私が大昔からずっと携わってきた世界。私が私を培ってきた世界であり、私の礎となるところ。だからそこに帰れば何度でも自分を確かめることができる。偽りのない自分を取り戻すことができる。自分の核とは何かを思い出しシュッと本来の自分に戻れる場所。
自分の魂が大喜びして心から満足できる、好きすぎる場所。
そこには誰にも遠慮なく、いつでもどこでも一人で戻っていける。だからいい。
そして毛細血管の先端まで英気を養いまた現実世界に帰ってくるという、いわば心の充電場所。
といった目には見えない世界での居場所は誰にでもあればいいなと思う。
けれども現実有形の世界で満足を得られない(系の命式の)人は特に、そういうホッとできる世界を持っているとバランスが取りやすいはず。なくても死にはしない。でもあれば人生がより豊かになる。
それは音楽でなくとも物語の世界かも知れないし作品を作るといった創造の世界かも知れない。学問の世界かも知れないし、人との関係における見えない繋がりの探求みたいなことかも知れない。
なんでもいい。そういった心の居場所がある人は幸いなる哉。
今はまだなくてもこれから見つけてゆっくり育てていけばいいのです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
絵の世界だってきっとそう。
没頭できる時そこはあなたにとってもう一つの大切な居場所になる。
Artists Sketching in The White Mountains by Winslow Homer
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