これは『薬屋のひとりごと』の一部だったと思うのだけど
読んでいて『あれっ?』と思ったところ。本来西と東逆なのだよね。
西に武官、東に文官が正しい。
けれども何か話の流れ的に意味があって作者さんが逆になさったのかな?
さて。
みんな生まれつき何かしらが欠けています。
たとえばこの方であれば
子丑天中殺なので、目上や親の部分が欠けている。
つまり親・祖父母なども含めた目上の存在が自分の人生で欠けているのがこの人にとっては自然な在り方ですよ、ということ。
人は皆目上の存在によって保護され、育てられ、独り立ちする。その際も色々助けてもらったり、時にはその後の人生も親や血族に世話になったりする人もいる。それは各自様々。
でも子丑天中殺の人はそんな助けない方が自分らしく生きられるのですよ!というわけです。
空っぽー!
なかなかハードですね。
ハードだけれども、その必要があるからこそそのように生まれついているのです。この世界に無駄はない。必ず意味がある。
そしてそのように生きることを家系からも宇宙からも期待されている。そんな生き方と責任を託されている。
でも実際はある程度成長して社会で生きて行けるようになる成人あたりまでは、誰か目上の存在に何かしら助けてもらいながら大きくなるもの。完全にゼロではないはず。
これはゼロであるはずなのに借りてきちゃった状態。
って、どこから借りてきたの?
それはこの世界を含む宇宙全体という存在から借りてきたことになります。
天中殺で欠ける部分は無一文であることを忘れてはいけない(高尾宗家)
これが親からの恩であれ他人からの恩であれ、運を借りた分はちゃんと返さなければ神(宇宙、世界でも)は味方してくれない。
その際、恩を受けた当人に恩返しをしなければいけないわけではありません。その分世の中にお返しできればいい。
30歳で一人前に自立できたのならお返しは30年必要。
この返済期間が『地命』
返済後の人生が真の『天命』
完済して初めて自分本来の姿に戻るのです。
そこからようやく本格的に自分の新しい人生が始まります。
借金を返す農家の人たち
The Peasant Settling His Debt, Adriaen van Ostade (circa 1644)
これを『返宝の徳』というのですが
借金返済に苦労はつきものです。
(運の返済には)利子が付かないだけありがたいと思うべきなのであります。
これは子丑天中殺を例に出してお話いたしましたが、他の天中殺の人も同じこと。自らの欠けの部分が満たされている状態であれば、それはどこからか借りてきている分がある。
もしくは前払いしている場合もある。
さあ皆様は如何でしょう?
本日もお読みいただきありがとうございました。
と考えると私の場合午未天中殺で目下が欠ける。なのに子供が3人。
これは夫の子丑天中殺(子供運あり)が混ざってそうなっているのもありますが、子供時代に惨憺たる思いをし続けた分プラスに働いているかも・・とはいえ子孫にツケが周らないように、わたくしも世に還元できるよう頑張りましょう。
2018春、ウィーンにて
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