人生には思いもよらないことが起こるよなあと思うことがよくある。
今回はフランスのノルマンディーで休暇を過ごしたけれど、ノルマンディーなんて私にとっては学校の社会の時間にノルマンディー上陸作戦で聞き齧った程度のもの。その上陸作戦の舞台であった地方がこんなに美しく豊かで、限りない魅力を持つ場所だなんて誰も教えてくれなかった。なんと平和で美しいところなんだろうと、陳腐な表現になってしまうけれど本当に平和と美を堪能してきました。
これは2020年にフランスで一番美しいマーケットに選ばれた市場で撮ったもの。
夏にブルターニュ地方に行った時にも思ったことですが、綺麗なのです、綺麗。海に行っても山に行っても景色が美しいのもさることながら、ごみが落ちてない。この海岸沿いをずーーっと散歩したのですがゴミが殆ど見つからないレベルでありません。
そして今日は写真の断崖絶壁の上、あそこは森のようになっていて山歩き的なことができるのですがそこをずっと散歩してきました。その道中も山の中、ごみが一つもないの。ないんですよ!?
私が滞在した港も、船の往来が結構あって人もたくさんいる。港に沿ってぐるっと飲食店が立ち並び、適度に活気がある場所なのですが水が綺麗。とにかく綺麗。ゴミなんて落ちてない。これはもう地域の人たちみんなが自然を大事にしようと心掛けているのでしょうね。ちゃんと『 自然は大事にしないとダメだよ 』と子供の時から教えられているんじゃないかな。
海と言えばゴミだらけ、川も汚い、山に入ればお菓子の袋やペットボトルが捨てられているのを必ず目撃してしまう日本から来た私は何となくそういうものだと思っていました。どこに行っても。
(私の出身地がそうだっただけだろ、という反論は受け付けます。きっと自然が綺麗なところも日本にはあるはず。)
特に日本って自分上げ情報がすごいじゃないですか?世界が注目する日本!世界が驚き感心する日本!みたいな。
でも八百万信仰があるわりには海にも川にも山にも平気でごみを捨てる、自然に対する敬意がない人が多いですよね・・・
ボランティアの方々がゴミ拾いをなさっていて偉いみたいなニュースなんかをみたことがありますが、そもそもみんなごみをその辺に捨てなさんなよって話です。一体どういう民度なのかと。
いや、別に海外出羽守的に外国ヨシ!日本ダメ!みたいなことを言うつもりは全くないのだけれど、衝撃的なのですよ。何時間も延々海岸や山を歩いて、結構な人がいるのにゴミがないというのは。大昔、産業がまだ発達していなかったであろう時代や、むしろ人間がまだいなかったかも知れないような時代、自然はさぞかし美しかったのだろうなんてよく思うことがありましたが。ここは汚れてない。今も昔もこの美しさだったのだろうと。
カミーユ・ピサロ(フランス画家)も私たちが滞在したDieppeという港町を何度も描いています。
Port à Dieppede by Camille Pissarro
彼が生きたのは1830年~1903年。100年以上も前にも海の色は今と同じだったんだなと。そしてこんなに美しかったらそりゃあ何度でも絵に描き残したくなるよなあなんて。
当時から同じ場所に教会があったんだなあ。
人生には思いもよらないことが現実になって現れてくることってありますね。悪いこともだけどいいこともたくさん!若かった頃は自分の人生がこんな風に展開していくなんて思いもよらなかった。想像すらできなかった。でも確かに興味のひかれること、自分に必要なことが私の小さい脳みそで想像しうる枠を超えてぽんぽん目の前に現れてきています。『 今度はそう来たか・・』みたいなね(笑
人間の考えうることなんて神の采配の前では、広大な海岸にある一粒の砂くらいなものですよ。
生きるのは体に悪いし(笑)しんどいけど、捨てたもんじゃない。
最近は
自分の想像を超えることが起こってくるから、途中でやめるのは勿体ない。
この人生で起こってくる全ての『 ええ??』を経験し尽くしてやろう。
と思えています。
絶対にやりたいことがある、こういう人生にしたい!と具体的な夢があっても、それに全力で邁進すればその向こうに実はもっと自分にピッタリな何かが現れてくるということはある。もっと自分らしい生き方につながるというか。それが神の采配。
一つにこだわらなくていいし、こだわりがあるなら極限までやり切る。そうすると必ず次の展開につながっていく。たとえその時は全くそのように思えなくてもね。
大丈夫。人生は不平等でも魂の行程はみんな完全に平等だから。
本日もお読みいただきありがとうございました。
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