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愛か呪いか、その2つの要素が世界を作る

 

人間の内側の世界は呪い か、その2つの要素で出来ているのではないかとこの間ふと思った。

全ては愛なのでーす

みたいなことをどこかで見たことがあるし、究極的にはそうなのかも知れないけれど今の私には分からない。

内側に出て来る思いや考えを分解して一つ一つ突き詰めて見ていくと 愛呪い

究極的にはその2つに分類される気がする。

 

何かの瞬間にスラスラ罵詈雑言悪口が口を突いて出る人というのは、常日頃から心の中で罵詈雑言をいっぱいグルグルかき混ぜている人。

あまり人を貶めるような思考をしない人、心の中で自分を攻撃しない人は

誰かを罵倒すべきような場面になってもなかなかそんな言葉はスラスラ出てこないものだ。

それはちょうど

心の中でも日本語で思考している人はスラスラ日本語で自分を表現できるけれど

一応知らないわけではないが普段心の中に常駐していない英語では意見表明がしづらいのと同じ。

 

と書きながら思い出した。

 

以前とあるブロガーに会った時

昔書いたこの人ですが:

冠帯の陰転(1)骨なし反骨精神
私は最近では 自分がどんな人物と関わるか、付き合うか に非常に気をつけているので、なかなか 陰転 の実例を目にすることがありません。 陰転とは、四柱推命でいう通変星や十二運勢の性質があまり好ましくない形で表面化すること。 ...

あなたは他人をモルモットか何かだと思ってるんですか?

といきなり聞かれた。

人を算命学の実験対象として見てるのか?という意味だったのだけれど、それを聞いた瞬間

失礼だなと思うよりも先に恐ろしくなったのを覚えている。

この人は他人をあっさりモルモットのように実験対象として使用できる人だ

と即座に分かったから。

そういう視点が内側になければそんな言葉は即座には絶対出てこない。

そんな視点が全くなかった私には、心底不気味な人間だなとゾッとしたのだった。

 

逆に私が好きな音楽に触れる時、子供に何かを伝える時、鑑定を通して誰かを見、触れる時

内側に湧いてくるのは愛の視点。

これは私が長い時間を掛けて楽器の師匠から受け継いだもの。

強く濃く受け継ぎ、私の中に太く消えることなく確実に流れる続けるもの。

幼稚園の頃からの長い師弟関係の中、そこにはずっと私に対する人としての尊重があった。

本当の意味で誰かに大切にして貰えたという経験。

彼女は人の素晴らしい部分を音を通じて見抜き、それを本人に伝え、伸ばすことが出来る天才だった。

あんなに素晴らしく優しく、しかし鋭く煌めく能力を私は他で見たことがない。

それも昨今流行の “ 目先の利益獲得のために褒めて育てまショー ” というペラい表面的技術ではなく、確実に彼女の中に根付いていた人間性。

私に向けられた言葉にも、私に向かう態度、行動の中にも、私は確かに真直ぐな愛を見出して受け取っていた。

その長年の経験が私の中に蓄積し、彼女が手本となって

人間関係、特に子供に対して、そして鑑定の場において、彼女の足下も及ばないながらも無意識にその視点で接している。

とてもありがたいことだと思う。

 

自分の内側は呪い か、究極的にはその2要素が様々な形の粒になって混ざったもので出来ている。

そして

これは自分で考えました

と思ったとしても、やはりその根源はいつか外から自分の内側に流れ込んできた呪い の粒がベースになっている。

 

その 呪い の粒の大半は、実は生まれてから成人するまでの期間、身近な人から注ぎ込まれたもの。

私の親は典型的な究極の毒親であり、得意技は精神的虐待。

有り余る帝旺(天将星)のエネルギーで朝から晩までイライラを炸裂させ、ヒステリックに罵詈雑言悪口を並べ立てる。

なので私の中には大量の呪いの粒も蓄積している。

けれどもありがたいことに、私には音楽を通じた師匠との世界があった。

そこは親子関係におけるそれとは真逆の、素直に相手を人として大切にしようという真直ぐな愛があった。

だから私の中には大量の愛の粒もある。

 

この世界には圧倒的に呪いの言葉が多い気がする。

かけられ自分の内側に蓄積した呪いはどこかで吐き出さないと苦しいのは分かる。

でもそれは吐き出された誰かに蓄積し、継承されていく。

そしてそれに基づいた世界をその人の周りに作り上げてしまう。

今の世界のこの状態は、呪いの拡大再生産の成れの果てなのかも知れない。

 

でも100%そうではない。

確実に受け継がれて行っている愛の粒もあちこちに散らばって存在している。

 

この知らない間に受け継がれていく愛の粒、呪いの粒、これこそが各家系のカラーであり、癖であり、因縁なのだと思う。

私はガッツリ煮詰めて増幅しすぎた濃い呪いの流れを確かに継承した。

けれどもそれを終わらせることが出来る。

それとは対極にある私の師匠の中に蓄積されていた愛の粒、私に継承された愛の粒の流れは

きっと師匠の家系の流れなのだと思う。

だから血は繋がっていないしお会いしたこともないけれども、私は彼女だけでなく

彼女のご先祖丸ごとにも常に感謝の念を送っています。

これが徳を積むということなのだろうなと、身を持って理解しています。

( 注: 徳を積んでいるのは師匠です )

 

そして内側の愛や呪いが原因となって行動が起き、世界は作られるのだから

やはり「 世界を変える 」みたいな大きなテーマに向かう時ですらベースは「 個 」であり、その内側の世界なのだと思う。

私がこの人生で出来る、そしてやるべきことは、子供たちや鑑定相手に師匠から受け継いだ愛の粒の流れを継承していくこと。

親から受けた呪いを自分の代で終わらせること。

それ以外にないだろうなと思う。

 

Andriy Shumskiy (Ukrainisch, b. 1977)

 

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