ずっと昔、中学生の頃。
学校生活がとにかく合わずに苦しく、家での生活は狂気じみた母の執拗な粘着と虐待でもっと苦しく
あの逃げ場がなくて苦しくて堪らなかった時期。
ある日ベッドの縁に腰掛けて、心の重さに耐えがたく押し潰されそうになっていた時
突然すっとその重さが8割くらい消えたことがあった。
何故か完全に消えたわけではなく、でもあまりの変化に
あ。今助けが入った。
と分かったのをはっきり覚えている。
今思うとそれに似た体験をしたのが、東京の日枝神社に初めて行った時。
上の記事にはもっと詳しく書いたと思ったのだけど(?)
あの時、私は特に悩み事もなくどちらかというと絶好調気味で訪れたにもかかわらず
神殿のある境内に入った瞬間、胸の中心辺りから全方向へ放射状にぱーん!と本当に一瞬で
自分でも気付いていなかった心の靄(もや)みたいなものが晴れて
今の何?!こんなにスッキリ全体を浄化されたのは初めて!
という経験をしました。
ここには本当に神様がいらっしゃる
と確信したものです。
あの完全にぱーっと 清められた! という感じ、そしてその後余韻のように続いたほわんとした心地の良さ。
中学生の頃、ベッドの縁で得た助けと同種類だったな、と。
何故こんなことを書いているかというと、最近それをよく思い出すからです。
中学生の頃ベッドの縁で得た助けは、日枝神社で思わず得た浄化と同種類ではあった。
でも今思うと質が違った。
日枝神社のそれは神様とかそういった本物からの
極めて質の高い、針の先で微かに突くようなごく小さな働きかけなのに高レベルで高品質の、すごい効果をもたらすのに優しい何か。
それに比べて中学生の頃のそれは、力は弱いし高レベルでも高品質という感じでもなかったけれど、確かに効果があった。
はっきりと助けられた。
それは多分、未来の自分が当時の自分に送った声援であり、エネルギーであり、愛情だったのだろうと思うのです。
あのどこにいても居場所も逃げ場もない感じ、孤独感を思い出すたびに、無意識に当時の自分に愛情を送っている自分がいます。
そしてこの会場で
時間は一直線に流れているようで実は一点に収束するもの
現在が未来に影響を及ぼすように、実は現在は過去にも影響を及ぼしている
つまり現在は常に未来からも影響を受けている
だって時間は一点に折り重なっているから
ということが分かったからこそ、過去の自分を思うたびに不憫に思いながらも無意識に愛を送ってしまう。
そしてまた何故こんなことを書いているかというと
去年の年末あたりから自分の中で少しずつ色々なことが繋がり始めたから。
始めは天中殺についての理解。
ああそうか、そういうことか
から始まって、岩と岩の間から漏れ出す湧き水のように少しずつ少しずつ今までの知識とより深い理解が繋がっていき、自分の中で大きくなっていっている。
それは知識が増えるとか深まるということなのだろうけれど、より正確に表現すると
自分の中で物語が細く途切れず紡がれて行っている という感じ。
そして岩の隙間から漏れ出す湧き水のその奥には何があるのか、何がいるのかというと
それは未来の自分かも知れないと思うのです。
未来の自分がこれからの流れを知った上で、適切な時に適切な情報をぽたんぽたんと私の中に落として行ってくれる。
日々に忙殺されてそれを掬い取れないこともあるけれど、それでも物語は続いて行く。
最低でも四柱異常干支が常態になるこれからの大運、なるほどこっち方向なのかな
と思っています。
To the Happiness of Ladies, To the Happiness of Citizens, The Bliss of the ladies. 1956 Remedios Varo (Spanish-Mexican 1908 – 1963)
コメント
佳代さん、いつも興味深く読ませて貰ってます。この記事の話しを読んで、ネットフリックスのホラードラマ、ホーティングを思い出しました。ホラーなんですけど最後まで見れば良い人ばかりって分かる内容です。ホラーが好きと書かれていたので体調の良い時にでも・・
おお、そうなんですね!
日本のNetflixとドイツのそれとでは観れる映画とかドラマの一覧が結構違うようなのですが
こちらのでもあれば是非見てみようと思います♪