予備校時代に本当に大事にしてもらって、親身になって可愛がってくださった先生にお会いしたい、だから連絡を取ってみて今年一時帰国する時にお会いできればと思い家族の写真も同封して手紙を出してみた という記事
の続報なのですが
メールでもラインでもなくお手紙でお返事が届きました。
差出人の欄に、当時確かに先生ご本人から直接お聞きしたことのある奥様のお名前があるのを見た瞬間に分かりました。
もうお会いすることはないのだと。
教師生活の晩年に、優秀で本当にいい子(生徒)たちに囲まれて楽しく過ごせて、とても幸せだったとよく話しておられたとのこと
もし今ご存命で私の手紙と家族写真を受け取っておられれば、どれほどお喜びであったであろうかということ
2010年の夏に急逝されたこと などが
達筆でいてしかも可愛らしい筆跡で、桜模様の付いた春らしい葉書にとてもとても品良く丁寧に綴られていました。
まだご存命中にお会いしようと思えばチャンスはあったのに
私は今の私では全然駄目だ、もっと世間一般に認められるような立派な何某にならなければお会いする資格はない とその時の自分を全否定して別の何かになろうとなんてしなければよかった
そんなことしなくてもダメなままでも、きっと以前と同じようにニコニコ笑って再会を喜んで下さったろうに
素直に、当時本当に私を一人の人間として大切にして頂いたあのご親切と先生の朗らかさが、その後ずっと今でも私の生きる力になっていることに心から感謝していることを、伝えたい時に伝えておけばよかった
当時の私は自分をダメ認定して、そのダメを隠すための鎧を集めに集めて、幾重にも重ね着して自分を覆いつくすことに懸命でした。
けれども本当に私を一人の人間として大切にしてくれる人というのは
表面に見える鎧を評価して私と付き合っているわけではなく
鎧が100重だろうが素っ裸だろうが、私の本質を尊重し私に対峙してくれる。
今この年齢まで生きてきてそれが漸く分かるようになったのです。
そしてそういう人以外は、私は私の人生に必要ない。
私の鎧だけを見て寄ってくるような人に自分や自分の人生を合わせなくてもいい。
そんなことをしている暇はない。
私が私の人生を生きているのであって、そこを他の誰かに明け渡してはいけない。
私が “ 私 ” を生きるのであって、私がそれをしなければ、一体誰が “ 私 ” を生きてくれるというのか。
私が “ 私 ” を生きないまま人生を終えてしまったら、“ 私 ” は一度も私の人生で生かされないまま、ただそこに何となくあっただけのものになってしまう。
そんな勿体ない生き方ってあるだろうか?
当時お会いしたかった自分の気持ちを曲げて会わないことに決めたことに後悔はあれど、当時の自分を『 馬鹿だったなあ 』と悪く評価することはもうしません。
もう二度としない。
あの時はあの時で、私は全力で一生懸命生きていた。
向かう方向が分からなかっただけ。
あの懸命さを、自分のことだからと言って否定するのは、自分に無礼すぎる。
私が今回のことから学び痛感したのは、自己嫌悪、自分をマイナス評価すること、罪悪感は何も生まないどころか、自分の足を引っ張る最たるものであり唯一のものであるということ。
何の役にも立たない。
百害あって一利なし。
もう私は二度と、冗談でも自分を悪く言ったり、自分をダメだと思ったり、自虐的に表現することはやめようと思います。
自分をガードする鎧を一つ一つ床に置いて、私はもっと自分の中心、内側の素の部分、核の部分を剥き出しにして『 私はこうなのです 』と混じり気なく提示して生きればいい。
少しずつ純度を上げてゆけば良い。
そこを叩かれれば、剥き出しの神経を直接引っ掻かれるように激痛が走るであろうけれど、それを怖がって自分以外のものとして生きるのはもう卒業。
人生の前半でそれはもうやり切った。
これからはその真反対。
ああ、でももう一度お会いしたかった。
この場で心からご冥福をお祈り申し上げます。
私の大好きな街、デュッセルドルフ Düsseldorf
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