昨日
あと少しで暦上の4月が始まりますね。
3月は実は夫に要注意の月だったので、このまま何事もなく早く過ぎ去ってくれー!と思っています。
と書きました。
その数時間後に来ましたね、来た。
ああなるほど、そう来たか
と思いましたよ。
夫自身は心が折れて辛い状態。
私は基本誰かの感情、特に身近な人の感情に酷く感化されて同じように参ってしまうのですが
( エンパスなのでネットの向こうの人の気持ちも分かることが多い )
今回は違った。
聞いた瞬間に分かったのですよね、そのことの意味が。
何故そうなったか。
ある意味、やっぱりそうか、と。
私も伊達に算命学をやっていません。
人生掛けて真面目に取り組んでますし、絶対的な信頼を置いています。
なので、普段鑑定をする時のように第三者の目で極めて冷静に見ることができたのです。
夫は 子丑天中殺 の人なので、今年から年運天中殺が始まったばかり。
大運も天中殺。
そして 3月は実は四正が勢揃いする月 で、それは分解すると 冲動と月柱天剋地冲の月。
その上、三合会局に大半会の日運。
空間枠が外れている異常事態の中、アクセルとブレーキを同時に最大限踏み込んでいる状態。
凄い矛盾と無理がある。
何が起こってもおかしくない。
まあこれだけ大きいのが重なったらね、出やすいよ現象が。
というわけで
何かあるとしたら3月、己卯の月やな・・・ ( あと12月と1月も )
と思っていたので、昨日のように 「 あとちょっとで通過!」 と書いたのです。
こういう後天運に大きな影響を受ける条件が出る時というのは
宿命と現実がズレている場合、そのズレを修整するきっかけになるような何かが起こってきます。
だからそういう時期に何が起こっても
もう人生終わりだ・・・
とか思わなくていいんですよ。
そっか、今まで無理してきた部分があるんだな
もっと自分らしく生きる道があるってことだからそっち探ろう♪
と思えばいいのです。
実際そうだから。
逆に言うと
そういうきっかけを与えて貰いでもしない限り
自分からは軌道修正しなかったでしょう?
ってことなのです。
なので実際夫にも
全然大丈夫やで。
それよりもっと自分に合った道を見つけられるって合図やから、今は辛いけど心配ないよ。
と言っています。
だって本当にそうだから。
私はむしろ 吉祥 だと思っています。
でもこういう時
一体何故こんなことが!?
と意味が分からないというのは 実に腹立たしい ものです。
そこをぐるぐるしてしまいがちです。
算命学をやっていて良かったと思うのは、その出来事という表面的事象に振り回されることなく
それが起きた時期と宿命からその奥にある本当の意味が分かるので、納得して消化しやすいこと。
もちろん目に見える三次元の世界の出来事は痛いんですよ?辛いんですよ?
でもその奥の本当の意味が見えると、痛みも和らぐし、衝撃から自分を立て直しやすい。
まだ子丑天中殺は始まったばかりですが
家族の身に何か起こるようなことでなければ
他は何でも来いよ
と思っています、私が (笑
夫婦は運命共同体ですからね。
Two sketches from Venezia Piazza San Marco and a canal, ca. 1926 Munch
ムンク流石やな、と思わせるスケッチ。スケッチってホント好き。
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