(本日の記事は思わず結構長くなってしまいました。)
源頼朝と平清盛ってご両者日干支甲午の律音ライバルってご存知でした?
平清盛の方は宿命大半会で地支が三合火局。そりゃぁすごいよね・・
さて宿命大半会繋がりで。
【7月30日 AFP】サッカー女子W杯オーストラリア・ニュージーランド大会(FIFA Women’s World Cup 2023)に出場するモロッコ代表のヌハイラ・ベンジナ(Nouhaila Benzina)が、30日に行われた韓国戦で大会史上初めてヒジャブを着用してプレーした選手となった。
モロッコ国内のクラブでプレーする25歳のベンジナは、韓国戦に先発出場して歴史に名を刻んだ。
このヌハイラさん、こういう社会の慣習という壁を破って新たな新境地を社会に、同胞に開くという大きなことを成し遂げたってことは宿命天剋地冲の人かな?もしくは今天剋地冲なのかな?と思って命式を拝見致しました。
宿命大半会で八相局で最身強。
しかしこれを見た瞬間思ったこと。
あれ?この命式最近見たぞ・・・この戊で火と土に偏って水がない命式。
そう、この方とすっごく似ているのです。
京アニの放火犯さん。
少し前に京アニの放火事件から丸4年ということで色々なニュースがネット上でも流れていましたね。まずはお亡くなりになられた方々にご冥福をお祈り申し上げます。また、まだ火傷やPTSDなど後遺症に苦しまれている方々には1日も早いご回復をお祈り申し上げます。
その事件の原因となった犯人が入院先の看護師さんについて
こんなに優しくしてもらったことはなかった
と言っているというのがどうも心に引っかかって読み始めたこの記事。
この人は誰にもちゃんと気を配ってもらえたり、優しくされたり、愛されるという経験が本当に殆どないままこれまで来てしまったのだろうと窺い知れると、気持ちがギュッとなってしまいまして。
じゃあこの人はどうすれば良かったんだよ
という思いがずっと頭から離れません。
一応念のため記しておきますが、この人のやったことは許されることではありませんし同情の余地はありません。その点に関しては間違いない。
けれども記事先にあるように
- 両親は不倫駆け落ち
- 父の前妻は完全に捨て置かれ6人の子を一人で育てる羽目に、食い扶持を減らすため養子に出された子も
- 青葉(犯人)の両親離婚、妹とともに父についていく
- タクシー運転手の父は事故で大怪我、収入途絶える
- 定時制高校卒業後バイトで一人暮らし
- 父自死
- 妹自死
- 母について行った兄も自死
もし自分がこんな生育環境で誰からも見捨てられた状態で成長しなければならなかったら?
こんなことする奴は許せない!と感情の赴くままにこの人を非難する人たちは、自分が彼の環境で何の知識も力もない幼少期を過ごさねばならなかったとして、本当にまともな感覚の大人になれたと言い切れるのだろうか。
Boy with a Dog, 1905 by Picasso
犯人のしたことは絶対に許されないことだけれど、そこをただただ叩いたり力づくで矯正しようとしたりするのは、葉先がぱさぱさに枯れかけた大きな木に向かって
その葉先は見苦しい、どうにかしろ!切ってしまえ!千切ってしまえ!
いや葉っぱごと、枝ごと剪定してしまえ!
と言っているのと同じ。根源を治癒しないと何度でも同じ症状が出てくる。
その人と全く同じ経験をしてきたわけでもないのに表象だけをかいつまんで叩くのはとてもとても簡単だ。そこで行われているのは実は
あぁ?パンがないだと?
だったら黙ってケーキでも食ってろ、カス
というマリーアントワネットごっこでしかない。
そして殆どは自分がマリーアントワネットごっこをしている自覚すらない。
そこでは無意識に
自分の人生はあの人のそれよりも上だ
と優越感を感じ胸を撫で下ろし、これ以上なく弱っている存在を正義の鉈で滅多切りにし、正義のヒーローを気取り悦に入っているだけだ。何も見えていないし見ようともしていない。ただ自らの快感を『これを機に』とばかりに貪り食いに行っているだけだ。
あそこで起こった出来事は、あの犯人たった1人が原因で起こるようなことではない。本人含め周りの存在が長い時間、時代を重ねて日々懇切丁寧に積み重ね築き上げてきた憤懣が可視化されたもの。
何故彼の親はそんな生き方になったのか。何故子供に向かい合えなかったのか。その親をそんな風にしてしまった、作り上げてしまったのは一体誰で何なのか。
あの出来事は犯人を噴出口として溢れ出ざるを得なかった、あの家系に溜まりに溜った巨大な怒りであり濃縮された憎悪であり毒だ。もちろん家系だけのせいじゃない。それを取り巻く社会にも原因はある。
その意味で彼は大きな罪を犯しながらも最大の被害者でもあるのです。
仕事としてやるべきことをやっているだけの看護師さんに
こんなに優しくしてもらったことはなかった
と思ってしまうほどの愛への渇望。そこから感じ取れる彼の寂寞とした子供時代を思うと正直とても苦しくなる。
大人になれば愛の自家発電はある程度自分でできるようになるもの。
けれどもそれは
無力で絶対的に 無償の愛 を必要とする幼少期・生育期にちゃんと身近な大人にある程度愛を注いでもらう
という経験が多少なりともあって初めて可能になること。そこで人は『どうやって自分に愛を注ぐか』という、そのやり方を学ぶ。
けれどもそれを教えてくれる人が誰もいないと、一体何をどうすればいいかさっぱり分からないまま、とてつもなく巨大で日々ますます大きくなっていく『愛への餓え』という爆弾を抱えたまま大人になってしまう。
多かれ少なかれ誰でもこの餓えはあるでしょう。
けれどもこの犯人ほど大きくなってしまっていたら?
彼は一体どうすればよかったのか。
こんな風にならないために、まだ知恵も力もなかった弱い存在の青葉少年は一体どうすればよかったのか。
命式を見る限り彼は馬鹿じゃない。とてもしっかりしている。
(もし生まれつき脳に障害があったりするのであれば分かりませんが)
何も分からない恵まれた凡人がテキトーにぱっと思いつくような
周りに助けを求めればよかったんだよ とか
親とちゃんと話せばよかったのでは とか
もっと〇〇していれば みたいなことはもう隅から隅までやり尽くしているはず。
そのありとあらゆる手を尽くしたけれど抜け道が全く見つからず、極限まで追い詰められているのに助けられるどころか自分が悪者にされ非難され、口封じされ、ただただ捨て置かれるという子供時代の苦しさ。
それが手に取るように分かってしまって
じゃあどうすればよかったんだよ?
がずーっと私の中でぐるぐる周っています。
本日もお読みいただきありがとうございました。
Mother and Child by Helene Schjerfbeck
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