わたくしの大好物。それはかりんとう。もうかりんとうに埋もれて死にたい。
先日の一時帰国でも
白かりんとうの袋×10
黒かりんとうの袋×10
+α
を買って帰ったのですが、既にあまり残っていないっ!!
もっと買って帰ればよかった・・・
ムンク『絶望』1894年
大後悔時代の幕開けである。
ちなみにこの野菜かりんとうというのも大変美味でございました。
もっと買って帰ればよかった・・
こういう細いのもいいんだよねぇ~ガリガリ噛めるあの感触。ガリガリ♪
そういえば以前Claude Monet(モネ)の睡蓮の絵を模したとっても美しい缶に入ったかりんとうを頂いたことがありましてね。
日本ってこういうセンスのいい本当に素敵なものがたくさんありますよね!
今でも大切にこの入れ物は使わせて頂いております(今も私の右手にあるぞい)。
実はかりんとうって家で作れるのですよ。美味しく作れる。でも手間が結構かかって面倒なのです。
次回は夏に帰れば夏服は場所を取らないので、その分かりんとうを詰めつめにして帰れるぞ、ふふふ♪
などと今から次回のかりんとうに思いを馳せるのでした。
(しまった、かりんとうへの愛が大きすぎて前座なのにメイン記事のような分量書いてしまった)
三合会局や支合法の原理と思考は奥深いものがあって、古代人が何を伝えようとしたのかを捉えなければ何の意味も生まれないのであります。
今日日本でも多くの運命研究家が「三合会局」や「支合法」を実際の占いに使用していながら原理原則を知ることなく伝えているのは、原理を伝えるものが我が国に存在していないからであります。(原典)
というか単純に ごっつい難しい からだと思いますよ!
いや、高尾宗家がご著書に大変丁寧に残して下さったおかげで、私たちは三合会局も支合もその成り立ちから逐一丁寧に学ぶことができるのですよ。
でも実際のところは上記の通り。
原理原則なんて興味ないし、結果の部分だけ知っときゃええんでしょ!
なアレコレが殆どです。そんなこと考えたこともないまま弟子を取る人も多く存在するさ。
以前も書きましたが、最初は私もこのあたり何度読んでも難しくて分かりませんでした。
読んでまとめて、別の本を読んで図に描いてみて・・・でもイマイチすっきりせず自分の別のまとめをまた開いて
ここは難しくてよく分からないので、何度も熟読して勉強すること
と自分に向けて赤で書かれたメモ書きを見つけたり。
何も知らずに見るとお経のようである。
今はようやく
ああ~そういうことね~♪
と読んで納得いくようにはなりました。
これも原典のおかげですよ!泣(ややこしくはあるが懇切丁寧に凄い文字数で説明されているので)
ただゼロの状態から皆の前でぺらぺら~っと説明できるかというと、まだそこまで行っていません。そのあたりの様々な「成り立ち」が素で当たり前のように説明できるようになったら!また命式の読み込みも別次元で更に深く面白くなっていくのでしょう。楽しみ楽しみ♪
そしてそれらができるようになったら、私も何らかを教える活動はスタートするのかなあ?などと思っています。まだまだ未定ですけれどね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
「んふふ♪」と原典を読む私
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