東京での対面鑑定は満席になりました。どうもありがとうございます。
さて。
導いてもらって進むことと、自分で決めて自分を導いて進んでいくことって全然異なりますよね。学びでも仕事でも何でもそう。大きな選択から小さな選択まで。どちらがいい悪いという話じゃないですよ?
前者はある意味気持ち的に逃げ場がある。
導かれるがままにやっていったらこうなりました。私が100%決めたわけじゃありませんよ?と。
それが組織に所属するような形で進んでいく何かであれば、ある意味守られるという特典もある。その代わり自由は大きく制限される。
後者は全部自由な分、そこに発生してくる結果に対する責任が大きい。全て丸ごと自分で責任を取らなくちゃいけない。
これ本当にどちらがいい・悪い、どちらが上・下とかそういう話ではありません。
今どういう段階なの?そしてどちらが自分に合っているの?というお話。
ただ前者から後者に移行するのにはとても勇気がいる。
なので客観的にどう見てももう実力は十分あるのに、ずっと誰か・何かに従属する形で思いっ切り能力を伸ばせず、小さいスケールで動いている人って結構多いなと思ったりします。
もちろんそれが悪いってことではないですよ!
ただちょっと『あれ?』っと思う時があるのです。
でもそこに命式をプラスしてその人物を解析すると
ああ、やっぱりこの人そろそろ大きな自由とともに自分で丸ごと責任を負う方向へシフトチェンジすればいいのにな
と思うことはある。
自分を導く。
一挙手一投足全て自由だから、全てに責任を負わなくちゃいけない。それは誰でも怖い。
でも宿命ってやはり時間が経てば経つほど、特にやるべきことをちゃんとやっている人ほど、行くべき方向へ行かないとものすごい違和感が出てきます。こみ上げる不快感。抑えきれないこれじゃない感。
特に自分を導くどころか、衆を導く器の人に実力が備わっている時。導く相手に対する責任も負いつつ、逆に自分以外のものにまで責任を負うことでより宿命が稼働して、運気が盛り上がり、予想もしていなかったような才能もエネルギーも出てくることは少なくない。
何だかそんなことをよく最近思います。
まあそれでもね、寄らば大樹の陰の方が安全なんでしょ?と思っちゃうのも分かる。そちらの方が合う人もいる。
皆自分に合った形で、死ぬまで最大限自分を好調に活かせるといいですね。
本日もお読みいただきありがとうございました。
リリーって言葉が題名に入っているのに、ぺぺっとすごくテキトーにしか百合が描かれてないの、好き。
Among the lillies, 1893 by Paul Gauguin
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