東京での対面鑑定は満席になりました。どうもありがとうございます。
こんな風に自分の強烈な経験が後になってこういう形で繋がってくるとは、人生は本当に分からないとよく思う。
イスラエルがレバノンの市街地を爆撃し一般市民が600人弱お亡くなりというニュース。
イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、レバノン市民に「今すぐ危険な場所から離れる」よう促した。
レバノンの人々は、ヒズボラの武器が保管されている建物から直ちに離れるよう警告するイスラエル軍の音声メッセージやテキストメッセージを受け取った。
レバノン南部からベイルートに続く道路には避難者の車両が殺到し、渋滞が起きた。
市民の一人は、家族のことが心配だが「どうしたらいいのかわからない」、「いつまでこんな生活が続くのか」と不安を口にした。(リンク先に動画あり)
これ以前にも
レバノン人の持つポケベルやトランシーバーが一斉に爆発した事件がありましたよね。上手くいけば所持者は死亡、爆破の一瞬前に音が鳴って所持者が「?」と覗き込んだ瞬間に爆破するよう設計されていたので、死亡せずとも失明はするように仕組まれていたとか。
このえげつなさ。
今から爆撃するからな。
ちゃんと警告してやったからな?
逃げろよ?
お前たちのためを思って言ってやってるんだぞ!
分かったな。
もし何かあっても逃げなかったお前らが悪いんだからな?
だってこっちはちゃんとお前たちの身を守るために、事前に情報をこうやって公開で開示してやってんだからな!?
この感じ。空気。色。悪い意味での鋭さ。針が振り切れっぱなしの状態。
どの口がそんなこと言ってるんだよ
イスラエルの振舞いを目にするたびに
この国(イスラエル)を擬人化すると私の母になり
私の母を擬 “国” 化するとイスラエルになる
このあまりにもぴったり一致する感じは想像を絶するな
と思う。
何を言っているかと不思議に思われる方もいらっしゃると思うので一応記載しておくと、以前にもチラッと書きましたが、イスラエルという国の命式と私の実母の命式が全く同じなのです。建国日と誕生日が同じ。
国という人間の大きな集団のカラーと、一私人のカラーがここまで共通するものだということ。両者から感じるもの、両者の本質が同じであることを実際に目の当たりにすると、分かってはいながらも改めて算命学の正確さに恐怖を感じるほど。
我が身可愛さのあまり平気で暴虐非道な振舞いをする。
誰の目から見ても明らかに間違っていて、危険で、他への加害が止まるところを知らない。それでも何だかんだと愚にもつかない、筋の通らないめちゃくちゃな理屈で、さも正義の味方であるように随一の常識人として振舞う。
しかし根底にあるのは
お前らごときが生意気に自分の意志を持ち、歯向かいやがって
ちゃんと大人しくこの俺様・私たちのいいなりにならないお前たちが悪い
だからその不正を、清く正しく美しく常識的な我々が正当行為で正してやるのだ
これは社会・世界のためでもあるのだ
むしろ感謝されて当然だろう
そのためになら何をやっても許される
何故ならこちらは正しく、向こうが悪なのだから
何をやってもこちらが正義なのだ
でしかない。
このトンデモ横暴理論で身も心も埋め尽くされている。
そこでは『相手も人間であり、心があり、家族があり生活があり人生がある。自由意思も生きる権利もある人間だ。』ということが完全に頭から抜けている。
自分の思い通りにならないこと、都合の悪いことは全て相手が悪く環境が悪い。
もの凄い既視感なのですよ、毎度このイスラエル関連のニュースや動画を見ると。
これ私何十年も間近で浴び続けてたやつだ と。
私が実家にいた頃、本当にしょっちゅう実母に対して思っていたのが
この人は人生を賭けて “人間どこまで卑怯で愚劣で、残酷で無慈悲で、お腹の中真っ黒に汚い存在になれるのか” の限界に挑戦でもしているのだろうか?
人はどこまで悪を極めることができるのかを、人生丸ごと使って記録に挑戦しているのだろうか?
ということだった。
両者の命式は三柱異常干支の五宮同均、生月中殺で中殺される星は龍高・調舒。そこに天将星がくっついている。
つまり中庸という性質がない。どこまでも “極” の人。善に流れればとことん善に、逆であればもちろん極端に・・・というわけだ。加害に走った時の破壊力がものすごい。
何だろう。
代々溜まりに溜まった鬱憤、怒り、恨み辛み、その堆積物からなる毒素がここにきて思いっ切り炸裂・ぶちまけられるというこの感じ。そしてぶちまけ始めたらもう止まらない、自分でも自分を全くコントロールできずに暴走するこの感じ。
よく知ってるんだ、よく知ってる。
まともに話をして会話になる相手ではない。賛同者しか認めない。賛同者ですら認めると言っても “奴隷その1” 程度のものでしかない。
そしてもっと言うと、彼らの不満足や怒りは世界中が彼らにひれ伏し彼らを日々褒め称え続けたとしても、決して納まることがないことも知っている。
私はそれでも実母という、その実態が人外の何かになってしまった(私の目にはそう見える)存在から大きく距離を取ることで、とりあえず事なきは得ている。
でもあの性質が国という巨大な集団のものとなった時。
あの傍若無人の暴走を止める方法なんてあるのだろうか?と考え込んでしまう。
分からない。答えは未だに見つからない。
本日もお読みいただきありがとうございました。
The deceased (The Death) by Marc Chagall
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