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反動欲求と本願、それらを順に満たし燃焼させていくことで次元が上昇する

 

はい、ちょっと前の記事の続きです。何の話なのだ?という方はこちらからどうぞ。

先に昔の欲求不満を解消しないと自分のこの世での役割なんて分からないよ、の有願と無願のお話
例えば子どもの頃家でチョコレートを完全に禁止されていたとします。 外で誰かに貰って食べたことはあって美味しいのは知っている。そしてチョコレートが大好き。食べたくてたまらない。でも家では絶対に食べられない。ぐぬぬぬぬ・・・ちょこれ~とぉぉ~・・・!!

 

続きを書くといいながら時間が空いたのでもう一度読み直していたのですが

おもしろっ!私の記事面白いわ~さっすが♪(笑)

と自画自賛モード突入中。ええねんええねん、月運天中殺やし(は?)

まあ自分が面白い・興味があることしか書かないのでそりゃ私にとっては面白いわな。

 

さて、チョコレート欲ガン無視された子供時代 → 大人になって食べたいだけチョコを食べる、の例でお届けしております有願・無願のお話。

 

目の前のチョコレートの山に満足して手に持つの忘れとるやないかい。何のボケやねんそれは・笑

 

自然の法則は人間の内に宿ったエネルギーを諸々の形で燃焼させ、その燃焼がある次元に達すると無駄なものが取り除かれます。新しいエネルギーと化す、つまりエネルギーの核が残ることになるのです。(原典)

 

本質的でないもの(ただの反動であるチョコレート欲)

有益なもの(自分本来の性質から出てくる欲・役割)

一緒くたに燃焼されている状態が有願の世界

 

そして

エネルギーの核が残ることになるのです

 

エネルギーの核こそが真に人間のであり、無願の世界へ向かう原動力なのです。

 

このエネルギーの核から発せられた無願は、小さな分量でも有願の何十倍か何百倍かの威力を有します。そしてどんな環境に置かれても、それによって考えや人生観が変化せず常に不変の心を持つことになるのです。

この核は更にある一定の次元に達するとまた新しい核を生み出し、新しい無願を作り出しながら燃焼の成長を遂げることになって行きます。

 

これは実際に経験したか否かで理解が全く異なると思います。経験していなければ(未経験が悪いということはありませんよ!)この字面を読んで面白いかも知れませんが、心の内はきっとこんな感じでしょう。

 

 

でもこの一連の流れを1周でも人生で経験していれば

あれってそういうことやったんかー!!

(しかしよくもまあここまで正確に、しかも難しい感じで理路整然と説明できるもんだわね)

とか思っちゃうわけですよ。

 

どんな人も有願の世界を通過しないで無願の世界に入ることはできず、一足飛びに行こうとすると永久に有願の世界を脱却することはできないでしょう。

 

私は音楽を人生の中心に据えてやっていくのだ!と100万%の確信とともにドイツくんだりまで来たのに、早い段階で目標をあっさり上回る結果をどんどん出せてしまった。それと同時にこれもまたかなり早い段階で

あれ?私はこれをずっと人生でやっていくわけじゃないんだ??

いやいや、そんな馬鹿な。

でもどうもそれは違うんだよな。

と気付いてしまった。でもやり切った感もものすごくあった。

 

その辺の大葛藤についてはここでも書いています。

神(Grigory Sokolov氏)の演奏と人生の転換期
あれは人生の転換期。 演奏に人生も命も賭けて生きている人間に起こるはずのないことが起こる。 それは人生の転換期の合図。

 

これこそが有願の燃焼。燃焼し切ったからそれを続ける意味がなくなった。

チョコレートを山盛り食べたのでもういいわ、さぁ次行こ♪となるのと同じ。

 

そして辿り着いたのが算命学。

あれがあったからこそ、次のステップである算命学に辿り着いた。

あれがなかったら絶対に辿り着けなかった。

ここに辿り着くために絶対通らなければならなかった部屋を通過し、絶対に開けなければならなかった扉を開けたからこそ今私にとっての人生の宝物である算命学を見つけられた。

そんなことをブログを始めた当初にも記事にした記憶があります。

その記事は残っているかも知れませんが、もしかするとアメブロからこちらに引っ越す時にこぼれ落ちた200くらいの記事の中に入っていたかもしれません。

 

切り口は心理学であり異なりますが、実は言っていることは全く同じなのがこれ。

カレン・ホーナイ/Karen Horneyと自己蔑視の自家製地獄
我がサイトの読者様兼鑑定依頼者様に薔薇に詳しい方がおられましてね。ナマで見た私の印象は薔薇でいうとヤング・リシダスであると。おお、薔薇に例えられるなんて身に余る光栄もったいのうございます!と思いつつどんな薔薇なのかな~?と思い調べてみました...

 

有願無願論はこの燃焼こそが心という溶鉱炉の中で行われる現象であるとする。そしてこれらは人間の願望陰と陽に分類するところから出発しているのです。

 

文章では何度も読んで理解できるようにこういう表現になりますが、これを算命学の鑑定に混ぜ込んでいくと

何が好きですか?

何かしてみたいことはありますか?

という問いになります。

だから私は鑑定でほぼ必ず尋ねますね。

誰にでも分かる平易な言葉で。そして日常生活でどこに気を向ければいいかの目印に。

そういう自分の気持ちや感覚ってめちゃくちゃに大事なのですよ。そこを無視していては本当に生きた・生きているという感覚なんて得られない。

 

全ては一足飛びには行かない。

春から夏と秋を飛び越えて冬に行けないのと同じ。

有願だ無願だと面倒なことは考えなくていいのです。本当にやりたいことがあればとことんやる。チョコレート一気食いでもね。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

Chocolate Ideal by Alphonse Mucha 

 

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