ちょっと用があってカラヤン+ベルリンフィルの第九をひっさびさに聴いていたのですが
。
いいね!いいわ、やっぱりとってもいい。
あまりに雄大で素晴らしいものに触れると言葉で表現するなんてどだい無理になるので、語彙力が幼稚園並みになってしまいますが、やはり第九は良いよ。
さて。
こちらでも書いたように
私は元々いわゆる “占い” といわれるカテゴリーに属するものに全く興味がありません。今もです。
なのに算命学が熱烈に好きで、全く飽きずに学び続け仕事にまでしているのは、今現代とは完全に異なる古代中国に浸透していた世界の捉え方、分析・理解の基準、価値観などを身につければ、その当時の眼鏡であらゆるものを見直す、理解し直すことができるから。
その眼鏡をかけた時に世界がどう見えるのか、自分がどう変わるのかを体験したかったから。
そしてその眼鏡の精度が上がるほど、当初の想像を超えて様々なものの見方が変わり、端的に言うととても面白いのです。こんなに面白いものはないよ。
そもそも算命学に没頭し始めた契機は
こんなに自分のことがクリアにハッキリ解析できてよく分かるのか!!
と感動したこと。そして自分の人生を過去にまで遡っていちいち全部説明できたこと。(私の場合はです、生き方によってはそうでない人も)
これは現代社会の価値観や西洋的なものの見方では絶対に辿り着かなかった、私にとっては天から授けられた宝物のようなものです。
それで、ですよ。
自分のことがそんなに分かるということは、他人のことも分かるということ。
算命学をやって良かったなと思うことの一つに、他人を理解し直すことができるというのがあります。
あの人ちょっと苦手だな
あの人なんでああなんだろう
みたいなことって日常茶飯事ではないですか?
それが生年月日さえ分かれば
あの人がああなのは心根にこういうものがあって、こういう方向性に進みやすくて、こういう性質があるからなのか~なるほど!!悪意があったりズルかったり嫌な奴なわけじゃないんだ!?
と理解し直せることもある。
これは大きいです。
もちろん算命学で全てが分かるわけではない。
その人の人生や人となりを作り上げているものの半分が持って生まれたもの。算命学ではそれを解析して把握できる。
もう半分は本人が変えていけるもの。それらの掛け合わせで人生は出来ています。
でも持って生まれた芯の部分だけでも正確に分かれば、それが全然見えていない時のその人への理解とは比較にならないほどよく分かる、捉え方が変わるというものです。
本日もお読みいただきありがとうございました。
いつかも書きましたがベートーベンは生年月日は分からない。でも私は彼はきっと戊の人だろうと勝手に納得しています(笑)
Beethoven, circa 1920. Illustration by Ludovic Alleaume
この絵って妊婦検診で撮る胎児の超音波写真の顔みたいだね。
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