さて。 私は自分のことを『占い師』と名乗ったことは一度もありません。 端的に嫌なのですよ。 (そのように名乗る方々に他意は全くありません!) これはおそらく私がそもそも占いに興味が全くなかったこと、そして現在も全く興味がないことによると思う。TVなどで流れる『本日の○○座の運勢は』とか雑誌に載っている『今月のあなたは』みたいなのも見ない。頑なにお断りというわけではなく、知覚したところで次の瞬間秒で忘れる程度のものなのです、私にとって。 社会一般的には『算命学で鑑定をしている』となると占いのカテゴリーに放り込まれるのは分かる。まあ便宜上しゃぁないわ。 けれども世間一般でいう占い、普通の人が占いと聞いて思い浮かべるものと、私がやっていることはあまりにも違い過ぎる。乖離があり過ぎる。 聞くところによると
- ナントカ占い① は算命学でいう十二大従星の晩年期の1つだけを取り出してうすーく引き延ばし面白くしているアトラクション
- ナントカ占い② は天中殺グループだけを取り出してうすーく引き延ばし面白くしているアトラクション
- 十二大従星の晩年期の1つだけを取り出して、そこしか見ずああだこうだ言っていたら
- 天中殺グループだけを取り出して、そこしか見ずああだこうだ言っていたら
左側を陰占、右側を陽占と言います。
もちろんこれだけでなく後天運も入ってくるので最低限必要な情報というのはもっと複雑になりますが、ここでは割愛。
この右側半分の陽占に関してだけでも
算命学陽占法は ~中略~ 異気集合論と陽占運命論の理論と結びつけば 思想学 や 自然哲学としての思考法 理論部分を抜きに活用すると占い・予言の術となる ただ “ 理論部分を抜きに活用する占い・予言の術 ” でさえとされます。 私が昔からアホらしいと思って興味がなかったのも、この『何の役にも立たない』を直感で嗅ぎ取って価値を感じなかったからでしょう。だから占いと聞いて拒絶反応を示す人の感覚はとてもよく分かる。そりゃそうでしょうと。 今のように学問が多岐に渡り、しかも教育制度が充実していたわけではなかった大昔の中国では、全てを陰陽バランスと五行(木火土金水)の相互関係から捉えて理解し、判断していた。それを分かりやすく記号化したものが十干、十二支、そして干支。 今とは根底から全く異なる世界の捉え方が当然であった当時の人々の感覚を身につけ、今現在の世界や社会、生きるということ、そして人間をその眼鏡で別の角度から捉えることができるようになればどれだけ面白いだろうか! というのが私がずっと算命学を勉強している動機です。 そんなわけで、自分がやっていることを知識がない人にどう説明するか、何と名乗るか、その辺分かりやすくまとめなくちゃなあなんてよく思っています。を知らなければ 何の役にも立たない そこを考慮せず技術を使用するだけだと、真の運命を掴めないと同時に 現象として現れた運命の原因を掴みだすこともできないのです(原典)
- どのような理論に基づいているのか
- どの理論部分を証明するために考え出されたのか
本日もお読みいただきありがとうございました。
月岡芳年作 月百姿

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