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ここで発信する意義、私の役割、そして算命学

 

幸せが伝わってくる文章は嬉しい。

それはまさにヘッセの言う

 

世の中にたくさんある美しいものの一つだ。

その人の人生の、そこに確かにあった愛に私も少し触れることができたような気になる、暖かさが向こうに見える文章。そういう文章を受け取ると、私も幸せな気持ちになるのです。同じくその場で私もその愛を体験できたような。

そして

ああ、この世の中にはやっぱり美しいものは存在しているじゃないか

と嬉しくなってしまう。

 

この世界は生きづらい。

この世界は陰陽がバランスを保って存在しているので、全てが善であり美であり平和である理想郷にはならない。そちらに傾きすぎると必ず反対の力が出てくる。そして力を増す。

 

逆にどんなに黒く悪に徹しようと思っても、必ずその奥には善や美が灯っているものだ。でなければこの世界に存在することすらできない。

この図は本当によくできていると思う。

 

 

私は、もう流れることもほぼ無理なほどに汚泥がガチガチに堆積した、正真正銘のドブ家系(機能不全家系)に生まれ、そこで無理やり口をこじ開けられそれを一人で飲み込まされる役を強制されてきた。出自がそれなのでどれほど今現在が満たされていようがドブの影はずっとついて周る。

私の人生のメインテーマは家系のドブ掃除だと言っても過言ではない。

 

けれどもそんな黒さを帯びる人生でも、やはりその奥には必ず美しいものやありがたいもの、誰かの善の心、愛は存在する。今絶望的だと思って生きているかも知れない皆さんだってそうだ。

家系のドブの流れの中にも心ある善き人は存在したのだと、そしてその存在が今の私を助けてくれているのだということも命式を見れば分かる。私の中にも確かにその光が流れている。

 

私は自分のことをよく発信する。

それは単にそうしたいから、というのもある。けれども要(かなめ)

強烈なドブに生まれても、今こうして平和に満たされて生きている人もいますよ

の信号を発したいのだと思う。

 

私が若かった頃はまだスーザン・フォワードの『毒になる親』すら出ていなかった頃。

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毒親なんて言葉はまだまだ存在しなかった。

そんな親の存在が認知されることもなかった。

親は親であるというだけで子供に何をしても笑って許される間抜けな時代だった(今も大差ないのかも知れないが)

 

それから徐々に機能不全家族やAC(アダルトチルドレン)などの概念が出てきて、“成長過程において近くにいる親の性質がその子の人生に与える深刻な影響” が注目され始めた。

確かに『何故こうなってしまったのか』という原因を真正面から捉え、理解し、未来への対策の礎とするのは大切だ。とても大切だ。鼻で笑われ全ても揉み消されていた頃に比べて飛躍的な意識の成長だと思う。

 

けれども。

 

そういう家庭で育って、その子はその後どうなった?

そういう人に光はあるのか?

現在進行形で、そういった人たちはどう生きている?

結果的にどうなった?

 

続編が乏しい。世間には。

 

私は表向きに分かりやすく大成功したり華々しい生活を送っているわけではない。

けれども、泥の底で息も吸えず光も見えず絶望感しかなかった若かりし頃

 

それでもちゃんと泥から這い出て普通に呼吸をすることが出来る日が来ますよ

私もそうだった

でも常に荒れ狂い大きく波打つ火山の溶岩のような心の内が、凪の海のような静けさを取り戻す日は本当に来るのですよ

たとえば私がそのいい例ですよ

 

と、生きる姿を見せてくれるお手本のような人が一人でもいてくれればどれほど助けになったろうかとよく思うのです。

それもリアルタイムで

それも等身大で

『こ~んなに可哀想だったけど今ではハリウッドスター!(筋肉見せて白い歯でニカッ!)』みたいな遠い世界の話ではなく、もっと日常生活における心の内のお天気報告みたいな形で。

 

川瀬巴水

 

このブログで私は算命学について主に発信している。

ただ算命学とは何だ?

算命学を教えたり学んだりする場では、算命学は中心に存在する。

でもそれ以外の場では算命学はあくまでも 人生を生きる際に伴走してくれる存在、影の補佐役 なのであり、人生の中心に凛として存在すべきはその人自身

そんな算命学を扱う人は実際に現在進行形でどんな人生を送っているのか?

それも加味して発信していきたい。でなければ机上の空論で終わってしまう。

 

それは

私の人生の中心は算命学で

無私の心で算命学の指示通りにあれこれやって結果報告をする場

ではなく

 

泥から這い出て、まだ泥の名残がこびりついてはいるけれどそれでもいい

あくまで人生の中心に立つのは私

そこから自分と相談して進んでいく上で補佐役として算命学を取り入れる

その現在進行形の姿

 

を発信することに意味も役割もあるのだろう、私にとってはと最近よく思うのです。

泥の中にあった光を掬い出し育て、必要な人に届くべくそっとここに紡いでいく場。

世の中にたくさんある美しいものを置いていく場。

私にとってはここがその場所なのです。

 

今息が吸えないほど苦しい状況にある人も、最低限必要な対処を取れば、時間はかかれど必ずゼロポイントまでは必ず浮上できる。静けさと落ち着きを取り戻せる。体の怪我と同じ、回復までひとっ飛びということはない。でも怪我と同じ、時間が味方をしてくれる。この世界には治癒能力がある。

だから諦めないで。自暴自棄になる必要はないから。

 

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本日もお読みいただきありがとうございました。

 

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