まだお席あります。
ところでこの間もチラッとご紹介いたしましたこの韓国のピアニスト。Yunchan Lim氏
。
ヤバいほどめちゃくちゃいいわ(良すぎて語彙が吹っ飛んでいる)。
これ私が大好きなベートーベンのエロイカ変奏曲。
最近子供たちの送り迎えの間、一人で居る時はずっとこの人の演奏を聴いています。あまりにも私の好みど真ん中の真っすぐで繊細な演奏をしてくれる。最高だ。しかもYouTubeにすごいたくさん、高音質で動画がUPされていてありがたい。
願わくばこの才能が潰されることなく、変な方向に行くことなく、今後も悠々と世界を飛翔して行って欲しいと思います。
これからもどんどん貼って行きますよ~。
ちなみにこちらは私がいつも聴いているキーシンのエロイカ変奏曲。
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私この場にいましたので思い出すのです、このホールのとんでもない美しさを。あの空間を。また行きたいなあ。
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さて。
算命学では自然の法則、自然界の現象を神の意志の表れと捉えます。
それを分かりやすく5つの要素に分類して記号化したものが木火土金水(もっかどごんすい)の五行ですね。それに陰陽をミックスし、個人の生まれた日をその記号で表し、陰陽五行内の影響やその方向性、力関係を基準にその人を解析するのが算命学の命式読みです。
で。
人間は個人であるだけでなく、この自然界の一部である。
人間という名の自然界であり小宇宙である、のみならず個人でもある。
これも陰陽ですね。どちらもあって初めて存在できるもの。
そして人間が小宇宙であり、大宇宙=自然界の一部であるということは、そこで全体のために果たす役割というのが必ずあるものです。
もし役目なり所有したエネルギーなりを燃焼させなければ、それは燃えない太陽に等しく、昼夜の別を持たない地球に等しいのです。
そんな状態は神である宇宙に対しての冒涜であり、ひいては人が自分で自分を冒涜していることになるのです。(原典)
言葉は激しいですが、分かる気はしますよね。
『神への冒涜』に関しては、私は小さい頃からずっと
自分を蔑(ないがし)ろにするというのは 神への冒涜 ではないだろうか
と思っていました。現在進行形では確信しています。
『こいつやて、神様冒涜したやつ』
『やだ怖い・・』
冒涜者たち(『神曲』の地獄の歌14)
それは
自分の本質を否定し、なきものとして扱い
自分ではない何かになろうとすること。
自分ではない何かとして生きようとすること。
あなたはチューリップなのに何故つる草を見て
私も頑張って木に巻き付いて上へ上へと高く伸びなければ!
ちゃんと木に巻き付けない私はダメだ
こんな低い位置に頭があるなんて存在している意味がないじゃないか
と思っているのですか?
この世界はチューリップがチューリップど真ん中を生きる、ということを必要としてあなたというチューリップを生み出したのですよ?それがあなたの役割であり責任。なのにそれを放棄してつる草になりたいですって?
Tulip Fields at Sassenheim near Leiden, 1886 by Claude Monet (1840-1926)
そんな行為を一つでも少なくするために人間は宇宙の真理を知らなければならない。そこから人間自身の生き方を学び、行わなければならないと考えているのが算命学。
その一つが五行の発見であり十干、十二支、六十干支の作成だったわけです。
人は肉体を纏う有限の世界において最大の努力をして神の意志を知り、それに近付く行為をする役目があるのです。
自分を蔑ろにしない、大事にするという個人の面と
全体の一部であるということから来る役目を果たす
ということは必ず重なっている。
云わば一石二鳥。
いや、本当はきっと一石百鳥くらいの効果がある。目に見えない世界の分も加味すれば。
その内容は?というのが命式には書かれていますよ、それを知れば自ずと進む方向もやるべきことも見えてきますよと。
後は自身の決断と行動だけ。
でも自分を大事にするってどうやって?
自分は誰かに蔑ろにされる経験ばかりだったので、具体的にどうすればいいか分からない・・
という場合にもざっくりした方向が分かるから命式はとても助けになるのです。
内容は宝の山。
使わなければ宝の持ち腐れだけどね。
そういえば最近鑑定した方が
この間の鑑定の○○のお話、現実生活ではこれこれこういうことかな?と思ってここをこうしてこう努力して行けばいいかなと思うのですがどうでしょう?
とメールフォローで聞いてらっしゃって、嬉しくなって
まーさーにー!
GJ!!
とお返事しちゃいましたよ。
自分を粗末に扱っちゃいけないよ。
自分の心も大事にするんだよ。
神を冒涜するのはやだもんね。
パイプを持つ少年(1905年)by ピカソ
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