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私の鑑定は果たしてお役に立てたのだろうか?と思うエゴ

 

最近記事の更新がなかなかできないでおりますが、それでもこちらにお運び頂いている皆様、どうもありがとうございます。

 

相変わらず鑑定をした後は「 死体?」ってくらい完全にエネルギーを使い尽くしてしまい

その後数時間寝ないと他に何もできないほどになります。

まず動けない。歩けない。

とても好きでやっていることなので、全く嫌な消耗ではないのですが

それにしてもこの疲れっぷりは一体どこの能力を酷使してるんだろう?

と我ながら不思議でたまらなくなるほど、灰のように燃え尽きます。

 

でもこれほど迷いなく全力を出し切れる仕事を見つけられて、ありがたいのです。

この疲労困憊っぷりは、ソロのコンサートをし終えた時と同じ。

私は

仕事とは迷いなく「 これが好きで、これをするために私はこの能力(命式)を持って生まれて来たのであり

これには持てるだけ全部の力を惜しむことなく出し切れる 」と確信できること

心に迷いなく妥協もなく「 これ!」と思えるものでなければ絶対に嫌だ

とずっと思ってきたし今も思っているので、そう思えるものを探し続けていた

“ 演奏活動から離れて以降、算命学に出会うまで ” の期間はエネルギー燃焼不足でどうも満足いかなかった。

つき纏う “ これじゃない ” 感。

いや、その間も通訳の仕事や楽器を教える仕事などでへとへとにはなっていたけれど

自分が使うべき持って生まれた能力を使うべきところで使えてない

ここじゃないしこれじゃない、こうでもない

とはっきり分かっていたし、だからこそ不本意な消耗の仕方をしていた。

 

だからこそ「 これだ 」と思えるものをずっと諦めずに探し続けていたし、算命学に出会った時には

見つけた、やっと見つけた!

こ れ だ !

と間違いなく分かったし、本当に嬉しかった。

やっと持って生まれたものを、余すことなく全振りで使い切れるものが見つかった、と。

そんなわけで願ったり叶ったりのエネルギー出し尽くし生活をしておりますが、それにしてもこの消耗は。

多分自分でも気付かない目に見えない部分で、何らかのモーターが焼き切れる直前までフル回転しているのだと思います。

面白いですね。← 自分では面白いのです・笑

 

でも時々ふと

私の鑑定は果たしてお役に立てたのだろうか?

と思うことがあります。

満足して頂けたかな?とか、ちゃんと伝わったかな?とか、納得いく説明が出来たかな?とか。

やっぱり気になりますが、それって鑑定する側のエゴなのですよね。

お役に立てれば、喜んでもらえれば私も嬉しいという( 如何にもな・笑 )私のエゴ。

そんなこと考えず、淡々と出来る限りのことを差し出していくだけ。

だからその “ できる限り ” のレベルを少しずつでも上げて行くこと。

エゴが顔を出してくる暇があれば、専門書の一冊でももっと深く読み込んだ方がいいですね。

分かっちゃいるけど・・・

はい、そうします。

 

Sergej Vinogradov, View on Pecherskij Monastyr

 

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