これ。ちょっと画像が小さくて文字が見えないかも知れませんが
9月はじめにお店で撮った写真なのです。もうその時期からクリスマスのお茶やお菓子が出始めましてね。そしてこれからはまたクリスマス関係の子供のイベントがまた山盛りに・・・がんばろ。←声が小さい
ところで最近 iPadを導入致しまして我がサイトを初めてそれで見てみたのですが
おおなるほど~こんな風に映るのか~!いい!大変いい!
とご満悦でございます。
昔 iPad mini を持っていたのですが、普通の大きさの iPadは使いやすいですね。全然違うわ。
さて。
今回一時帰国で色々気付いたことが沢山ありましてね。やはりようやく接運の影響から抜けてきて本格的に新しい大運の気がスタートしてるのだなという感じです。
その中でも最も『そっか、やっぱり。』と思ったのは今後私がどうしていきたいか。算命学を死ぬまで続けるのは当然なのですが、それをどう使うかは人それぞれ。
勉強が楽しくて、進めば進むほど自分への理解が増して生きやすくなるから算命学を続ける人。
鑑定をメインに続けていく人。
教えることを生業にしていく人。
沢山使い方はあると思います。
私は時々、算命学を教えないのかと聞かれるのですが
自分が算命学を一から教える?う~ん・・それは違うな。何か違う。
私がやるべきことはそれじゃない。
そこじゃないところに『これだ!』があるのは知ってる。
そしてそれは必ず出てくる。
とぼんやり思っていました。
そもそも算命学を教えようと思ったら、少なくとも原典算命学大系は熟読してよく分かって、自分の言葉で説明できなきゃいけないと私は考えています。例えば支合の成り立ちとか支合の成り立ちとか支合の成り立ちとか・・・← 難し過ぎて私にはまだ完全に理解できておらず説明なんぞまーっだまだ。
原典を読む私(自己美化月間絶賛開催中)
Carl Holsøe (avant 1935)
もちろん今ここで
わたくしは生涯算命学を教えることはございません!
と宣言するものではありません。気が向いたらするでしょう。
ただそっちじゃないんだよなあ、私の役目は。私がすべきことは。
多分算命学を教えることに関しては私よりも上手に出来る人はたくさんいらっしゃる。
じゃあ何か。
おそらく
今我々がこうして生きているのは何故なのか
もっと言うと、何故こんなに生き辛いのか、苦しいのか
(何故こんなに恵まれていて生きてて楽しいのか、でもいいのですよもちろん!そういうのも分かったりしますのでね。)
それを算命学をベースに家族関係や家系の流れから読み解いて、積年の因縁を理解する。
そんな中で自分が出来ること、すべきこと、役割はこんなですよを提示し、そこからご本人が具体的に「これだろうな」を見つけその解消をしていけるように、そして自分は別の誰かにならなくてもこんなに無理なく自然に生きられるんだ!を実現していく繋ぎとなること
なのだろうなと。
人は皆(見えないから軽視されがちであり関係ないと誤解されがちですが)家族や血縁と深く繋がっています。
つい最近もチラッと書きましたが、どんな人も
- 自分一人の運
- 夫婦でひとまとまりの運
- 家族でひとまとまりの運
- 家系でひとまとまりの運
- そしてコミュニティで、国家で・・・
と自分が構成員であるところの集団の運の一部を必ず担っています。
これ。
今生きている家族親族だけでなく、もうあの世に行ったご先祖も含め『チーム〇〇家』の一員であり、そのチームとして1つの運が存在する。その一端を担っている。自分の生き方次第でその『チーム〇〇家』の運にも如何様にも影響を与えられる(というか常に与えつつある、現在進行形ですよ)。
この辺りを 家系の因縁 なんて言葉を使うと七面倒くさそうじゃないですか?おどろおどろしい感じもするし。何より自分とは無縁な感じがする。因縁なんて知らんがな、と。
でも違う。そうじゃないのです。
だって数世代上の先祖だろうが、今生きている血縁者であろうが大昔のご先祖だろうが、皆私たちと同じように精神と肉体を持った人間だったわけです。その中に全く作りの違う動物やエイリアンが混ざっていたらそこだけぽっかり理解できない穴が開いて大変でしょうがそうじゃない。この世に生まれてきて死んでいく存在として同類であり、普通に考えて理解できる作りです。
そして我々皆に例外なく、良くも悪くも家系の因縁は存在する。それとともに生きそれを解消したり、良い因縁(=先祖の恩徳)を使ったり増やしたりを無意識にしている。
いわれてみればきっと誰もが気になることでしょう。
ということは 絶対に平易で分かりやすい言葉で、誰もが理解できる形でそれを読み解き伝えることができるはず なのです。絶対です。選ばれた特権階級のなんちゃらにしか許されない奥儀!みたいなものであるはずがない。神様はそんなにポンコツじゃないよ。誰にも必要なことに関しては、誰にもアクセスできるように必ず道は開いている。そのようにこの世界は作られています。
だってそこの部分の理解は自分が生きていく上でも、またその生き方が家族親族、家系に及ぼす影響という意味でも滅茶苦茶に重要だから。
ここやねん、ここ。
私が深堀して専門的にしたいことはここなのだよ。
それを進めていくためにはもっと勉強し(原典読め、読み込め)、活動の形態としてももう少しアクセスしやすくしたり、別の媒介を考えたりしなくちゃなと思っています。
もちろん牛歩戦術?というくらいゆっくりにはなると思いますが・・・これが天命であれば、そしてやるべきことをやっていればきっとモーセの海割りのように目の前に道が開いていくのでしょう。
ま、とりあえず頑張るわ。←ものすごいテキトーに纏めたな。いや、MIPを思い出したもので(※)
本日もお読みいただきありがとうございました。
もの凄いピカソの青青の時代の影響を受けまくっている Portrait of Greta Prozor, 1916 by Henri Matisse
(※)先日書いたMIP(ミッションインポッシブル)がですね
何か策はあるのか?
いや、ない。
じゃどうする!?
とにかく頑張る。
ええ・・?頑張るって・・・
やってみなくちゃ分からないじゃないか!
こいつぁいつもやり遂げてくれた、だから今回も大丈夫だろぉ
うん、任せて!何とか大丈夫にするから!
みたいに 国家の存亡とか人類滅亡が掛かっている案件 なのに 毎度超テキトーの超根性論!で進めて行っていて最高でした。人間ある程度のアバウトさは必要なのかもね(笑)
コメント
いつも楽しく拝読してます。
私は算命学を診ていただいていた先生がおられたのですが
高齢につき亡くなられてしまいました。
そこから何名かの算命学鑑定者に診てもらったのですが
佳代さまがおっしゃられるように
・診る人診られる人の愛称
・鑑定者の算命学に対する力量
は、必ずあると思いました。
同じ算命学だからといって、その算命学をどう使って鑑定するのか、算命学をどう読み解くのかというのはあるんだなと、素人ながらに思いました。
先述した高齢の先生曰く
[10年かけて算命学の学校へ通ったけれど、わざわざ東京まで出かけて行ったけれど、頭の中でパァーー!っと繋がったのは9年と半年目くらい。
才能ないのかな、もうやめようかなと思いながら学び続けてきたんだからね]との事でしたが、さもありなんと思います。
そこで佳代さまへ質問なのですが
ドイツ在住歴が長い佳代さまは、通信教育で算命学を学ばれたのですか?ドイツには算命学の教室があるのでしょうか??
それとも。。。
独学で?????
独学だとしたら、相当なご努力というか鍛錬されていらっしゃるのだなぁと思います。
私も算命学に興味はあるのですが
じゃあ算命学で皆を鑑定していきたいのか?と自らに問えば、答えはNOです。
よし、それがいい!そうしましょうという心弾む気持ちにはなりませんので。
なので、これからもひっそりと佳代さまのブログを拝読したいと思いますし、いつかは鑑定もしてもらいたいと目論んでおります。
佳代さまに出会えて
良いご縁をいただいたと思います。
そして佳代さまを見つけ出したわたし、グッジョブ!!と褒めてあげたいです←なんのこっちゃ。
これからもどうぞよろしくお願い致します。
こんにちは。
私は98%くらい独学ですね。ドイツに算命学の学校はありません(笑)
その点日本では実際に教室を参観させてもらったり、先生や校風と相性がどうか見てみることが出来てチャンスは多いのではないかなと思います。
お互い算命学を大いに楽しんで参りましょう♪